Welcome and thank you for visiting my website. The text of the page is in Japanese. Please translate and browse on Google etc.

氏族の祖先神は、どう祀られてきたのか― 藤原・忌部・物部を比べる

古代の氏族のなかには、神を自らの祖として語ったものがある。藤原氏(中臣氏)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)、忌部氏(斎部氏)の天太玉命(あめのふとだまのみこと)、物部氏の始祖・遠祖伝承に置かれる饒速日命(にぎはやひのみこと)。こうした祖神は、しばしば氏族ゆかりの神社に祀られている。

ここで、ひとつの素朴な予想が立つ。「氏族の祖先神は、そのまま、その氏族の神社の主祭神になっているのだろう」と。

ところが、三つの氏族を並べて見ていくと、この予想はあっさり崩れる。

祖神と氏神社の関係は、一つではない。

藤原氏では、祖神は神社の祭神の一柱として祀られる。忌部氏では、祖神が主祭神として前面に置かれる。物部氏に至っては、祖神その人よりも、祖神にまつわる神宝や、氏族が奉斎した神剣の霊威が、祭祀の中心に据えられている。

この記事は、藤原・忌部・物部という三つの氏族を、いくつかの共通の軸で横に並べて比べる、いわば見取り図である。それぞれの氏族について詳しく語り尽くすことはしない。各氏族の掘り下げは、別の詳細記事に譲る。ここでの目的は、三氏を同じ枠で比べたときに、何が同じで、何が違うのかを一望することにある。

なお、本記事で用いる「継承・拡大型」「異議申立・対抗型」「祖神・神宝重層型」といった類型名は、史料に記された分類ではなく、比較のためにこちらで与えた分析上のラベルである。あらかじめ断っておきたい。

また、本記事では一般的な呼称として天児屋根命・天太玉命を用いるが、記紀本文では天児屋命・布刀玉命・太玉命などと表記される。天児屋命の読みにも「あめのこやねのみこと」「あめのこやのみこと」の両説がある。神名の表記は、史料ごとに異なることをはじめに断っておきたい。


目次

1. 記紀神話は三氏の祖をどう描いたか

まず、出発点となる『古事記』『日本書紀』の神話のなかで、三つの祖神がどう描かれているかを見ておきたい。

ここで、はっきりとした違いが一つある。三つの祖神は、必ずしも同じ神話の場面に並んでいるわけではない、ということである。

『古事記』では、天児屋命と布刀玉命が、同じ場面に並んで登場する。有名な天石屋戸(あめのいわやと)の神話――天照大神が岩屋に隠れ、神々がその前で祭儀を行う場面である。ここで天児屋命は神への言葉(布刀詔戸言)を述べる役を担い、布刀玉命もまた、占いや祭具の製作に関わり、御幣を捧げ持つ役を担う。『日本書紀』では、両神はそれぞれ天児屋命・太玉命と表記される。天児屋命(天児屋根命)は中臣連らの祖とされ(國學院大學「天児屋命」)、布刀玉命(太玉命・天太玉命)は忌部首らの祖とされる(國學院大學「布刀玉命」)。つまり中臣氏の祖と忌部氏の祖は、神話のなかで、同じ祭祀の場に肩を並べていたのである。

天孫降臨の場面でも、両神は名を連ねる。『古事記』では、両神は天孫に随伴する五伴緒(いつとものお)の一員として並ぶ。ただし『日本書紀』では、異伝によって随伴する神の構成が異なり、太玉命と天児屋命の二柱のみが随行する伝えもある。記紀のなかで、随伴の描かれ方は一通りではない。

なお、この二神の役割分担――中臣の祖が祝詞を述べ、忌部の祖が幣帛や祭具を掌るという描写については、八世紀以後の神祇令にみえる祭祀の規定とも一致しており、現実の祭祀の形態の起源を示す伝承とみる説がある(國學院大學「布刀玉命」)。ただし、これはあくまで研究上の解釈であって、神話の描写がそのまま古い時代の実際の職掌を証明するわけではない。神話本文に何が書かれているかと、それが歴史的に何を意味するかは、分けて考えておきたい。

一方、饒速日命は、それとは異なる伝承のなかに置かれている。『古事記』では、天つ神の御子の天降りを追って地上にやってきた神として描かれ、『日本書紀』や『先代旧事本紀』では、天皇の祖神に先立って天降った天孫として語られる。物部氏の始祖・遠祖伝承の起点となるこの神は、天児屋命・布刀玉命とは異なる降臨伝承のなかに位置づけられている(國學院大學「邇芸速日命」)。

この、天皇に先立つ降臨という伝承の意味については、研究上、複数の解釈がある。物部氏が天皇に先行する大和の支配者であった歴史の反映とみる説もあれば、天皇との結びつきを示して自氏の地位を高めるために成立した伝承であって歴史的事実の反映とみるべきではないとする説もある(國學院大學「邇芸速日命」)。いずれにせよ、ここで確実に言えるのは「『日本書紀』などに、天皇の祖神に先立って天降った神として描かれている」ということまでである。

こうして見ると、神話上の位置からして、天児屋命と布刀玉命は同じ祭儀を共にした「隣り合う祖神」であり、饒速日命は「異なる降臨伝承に位置づけられた祖神」である。この神話上の位置の違いと、これから見ていく後代の祀られ方の違いを重ねて見ると、三氏が同じ型に収まらないことが見えてくる。


2. 三氏の由来は、後代の文献でどう語られたか

神話のなかに祖神が描かれることと、後代に氏族の由来が文献へ書き留められることとは、別のことである。三つの氏族には、それぞれ由来を伝える後代の文献がある。そして、その文献の性格は、三者三様に異なっている。ここでは、三つをひとくくりに「氏族自身が書いた自家の文献」とは括らず、性格の違いに注意して見ていきたい。

藤原氏には、『藤氏家伝(とうしかでん)』がある。八世紀なかば、七六〇年頃に編まれたとされる、藤原氏自身による家の来歴の叙述である。中臣鎌足を中心に据え、祖神からの系譜を自家の物語として語る、いわば一族の自己叙述である(成立年代・編者・性格については巻末の書誌を参照)。

忌部氏には、『古語拾遺(こごしゅうい)』がある。大同二年(八〇七年)に斎部広成(いんべのひろなり)が撰上したとされるこの書は、性格がやや異なる。背景には、忌部氏(斎部氏)と中臣氏の長い相論があった。延暦二十二年(八〇三年)に忌部は斎部へと改称し、大同元年(八〇六年)には、中臣朝臣が忌部を奉幣使に任ずるべきでないと主張して両氏が相論となり、最終的に平城天皇の勅裁によって斎部側の主張が認められた。その翌年に、古伝を通じて中臣朝臣の専横を批判するために撰上されたのが『古語拾遺』である(國學院大學「忌部首」)。ここで注意したいのは、この書は「古代に忌部氏が実際に中臣氏より優位だった」ことを証明する史料ではない、という点である。むしろ、九世紀初頭の斎部氏が、自氏の由緒と祭祀職掌をどのように主張したかを示す史料として読むべきものであり、斎部氏を擁護するための誇張や造作を含むと考えられている(國學院大學「布刀玉命」)。

物部氏には、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』がある。これは記紀より後に成立し、物部氏の系譜や、十種神宝(とくさのかんだから)にまつわる伝承を詳しく展開した文献である。後世に偽書とみなされた研究史を持つが、その成立や諸本、物部氏の職掌、国造本紀の史料性などは、現在も研究の対象となっている(國學院大學「『先代旧事本紀』の研究」國學院大學デジタル・ミュージアム「先代旧事本紀」)。同書は記紀と重複する記事を多く含む一方、他史料には見えない伝承も含んでおり、物部氏自身の同時代の自己叙述として確定できるものではない。記紀以後に、物部氏の系譜や神宝伝承が詳しく展開されていった文献として扱うのが穏当である。

三つの文献を並べると、その性格の違いが見えてくる。家の来歴の自己叙述(藤原)、祭祀職掌をめぐる主張を含む由緒の書(忌部)、後世における系譜・神宝伝承の展開(物部)。同じ「氏族の由来を語る」といっても、書かれた動機も、書かれ方も、書き手と氏族との距離も、それぞれ異なるのである。


3. 祖神と神社祭神の関係は一つではない

ここが、この記事の心臓部である。

冒頭で「祖神と氏神社の関係は一つではない」と述べた。その中身を、三氏の神社で具体的に見ていきたい。

藤原氏の場合、祖神の天児屋根命は、春日大社に祀られている。ただし、春日大社の祭神は天児屋根命ひとりではない。武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・天児屋根命・比売神(ひめがみ)という四柱が祀られており、天児屋根命はそのうちの一柱――第三殿の祭神である(春日大社公式)。つまり、祖神が、複数の神からなる祭神構成のなかの一柱として祀られるかたちである。

忌部氏の場合は、これと異なる。祖神の天太玉命は、安房神社(あわじんじゃ)の主祭神として祀られる(安房神社公式)。妃神や忌部の神々をあわせ祀りつつ、その中心に祖神その人が置かれている。つまり、祖神が、神社の主祭神として前面に置かれるかたちである。

物部氏に至っては、さらに構造が違う。物部氏の始祖・遠祖伝承の起点には饒速日命が置かれ、その子の宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が物部氏の祖神とされる。ところが、氏ゆかりの石上神宮(いそのかみじんぐう)の祭神構成の中心にいるのは、その饒速日命でも宇摩志麻治命でもない。主祭神は、国土平定に功をたてた神剣・韴霊(ふつのみたま)の霊威である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)である。あわせて、饒速日命が天つ神から授けられたとされる十種神宝の霊威・布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、神話に見える神剣の霊威・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)が祀られる。そして饒速日命の子・宇摩志麻治命が、物部氏の祖神として配祀されている(石上神宮公式)。つまり物部氏では、遠祖の饒速日命、その子で祖神とされる宇摩志麻治命、祖神に授けられた神宝の霊威、氏族が奉斎した神剣の霊威が、重層的に結びついて祭神構成を成しているのである。

三つを一枚に並べると、こうなる。

氏族祖神氏ゆかりの神社祖神と祭神の関係
藤原・中臣氏天児屋根命春日大社祖神が四所の一柱として祀られる
忌部・斎部氏天太玉命安房神社祖神が主祭神として前面に置かれる
物部氏饒速日命―宇摩志麻治命石上神宮遠祖・祖神・神宝・神剣の霊威が重層的に結びつく

「氏族の祖先神は、そのまま氏神社の主祭神になる」という素朴な予想は、ここで完全に崩れる。祖神が一柱として祀られる例、主祭神として前面に立つ例、そして遠祖・祖神・神宝・神剣の霊威が重層的に結びつく例――三つの氏族は、三つの異なる関係のかたちを見せている。

なお、ここで挙げた祭神構成は、いずれも現在の各神社が伝えるものである。その対応が歴史的にいつ、どのように成立したのかは、神社の由緒と同時代の史料を分けて、別途検証すべき事柄であることも、付け加えておきたい。


4. 比較で際立つ層は、氏族ごとに違う

三氏を比べるもう一つの見方として、祖神をめぐる意味が、どの「層」で厚く現れるかを見ておきたい。

藤原氏の祖神・天児屋根命をたどると、記紀神話の祖から、藤原氏自身の家伝、国家の氏族台帳、春日への鎮座と氏神化、神仏習合の世界における春日権現、そして近代の神仏分離と再接続まで、いくつもの層に意味が積み重なっている。この厚みについては、藤原氏の詳細記事で詳しく追っている。

ここで強調しておきたいことがある。藤原氏の場合、祖神系譜から神仏習合、近代の再編までを、複数の種類の史料を通じて連続的に追うことができる。ただしこれは、他氏族を測る標準形や完成形ではない。本記事で確認した範囲において、多様な層をたどりやすい一例である、ということにすぎない。

だから、忌部氏や物部氏について、本記事で現時点までに確認した材料が、藤原氏ほど多くの層に及んでいないとしても、それを「藤原氏に比べて不足している」と見るのは正しくない。それぞれの氏族には、それぞれに際立つ層がある。

忌部氏で際立つのは、祭祀職掌をめぐる主張の層である。天児屋根命と同じ祭儀に並んだ祖神を持ちながら、宮廷祭祀において忌部氏の地位はしだいに低下し、中臣氏の優位が明確になっていった。その過程で、自氏の由緒と職掌を主張する『古語拾遺』が生まれた。藤原氏が家伝のなかで自家の来歴を語ったのに対し、斎部氏は、祭祀職掌と自氏の由緒をめぐる対抗的な主張を『古語拾遺』に残した。このように、祭祀職掌をめぐる異議申し立てが一書の中心的な性格となっている点は、藤原氏の家伝とは異なる。

物部氏で際立つのは、祭祀構造そのものの独自さである。遠祖とされる饒速日命、その子で祖神とされる宇摩志麻治命、祖神に授けられた神宝の霊威、そして氏族が奉斎した神剣の霊威が、重層的に結びついて祭祀を成している。祖神と祭神が単純に一致せず、これらが幾重にも接続する点は、藤原・忌部とは異なる。さらに、記紀の後に『先代旧事本紀』において、系譜と神宝の伝承が詳しく展開された点も、物部氏に固有の展開である。

それぞれの氏族の、目立つ部分も、本記事で手薄に見える部分も、その氏族の祖神伝承と祭祀構造の固有の特徴を映している。ある層について確認できる材料が少ないことは、その層が存在しないことを意味しない。それは、その氏族がたどった歴史の、固有のかたちなのである。


5. 各氏族の詳細記事へ

ここまで見てきたように、藤原・忌部・物部の三氏は、同じ比較の枠に置くと、それぞれ異なるかたちを見せる。最後に、三氏を分析上のラベルで整理しておきたい。くり返しになるが、これらは史料上の分類ではなく、比較のための呼び名である。

  • 藤原・中臣氏 ― 継承・拡大型:祖神を祀る系譜が、家伝・国家台帳・氏神・神仏習合・近代と、多くの層へ連続的に展開していく。
  • 忌部・斎部氏 ― 異議申立・対抗型:天児屋根命と同じ祭儀に登場した祖神をめぐり、祭祀職掌をめぐる対抗的な主張が文献として残る。
  • 物部氏 ― 祖神・神宝重層型:遠祖とされる饒速日命、その子で祖神とされる宇摩志麻治命、祖神に授けられた神宝の霊威、氏族が奉斎した神剣の霊威が、重層的に結びついて祭祀を成す。

古代氏族と祖神の関係は、「祖神がそのまま氏神社の主祭神になる」という一つの型には収まらない。三つの氏族は、祖神の祀られ方においても、自家の語り方においても、それぞれ異なる道をたどってきた。その違いを並べて見ることこそ、この見取り図のねらいである。

各氏族のより詳しい歩みは、それぞれの詳細記事で追っていく。

  • 藤原・中臣氏 … 天児屋根命と春日大社をめぐる、六つの層の堆積(詳細記事を近日公開!)
  • 忌部・斎部氏 … 天太玉命と『古語拾遺』をめぐる、祭祀職掌の主張(詳細記事は今後整備)
  • 物部氏 … 饒速日命・宇摩志麻治命と石上神宮、神宝と神剣の霊威(詳細記事は今後整備)

祖神をめぐって、時代がどんな意味を重ねてきたか。そして、氏族ごとにその現れ方がどれほど違うか。三氏の比較は、その問いへの入り口である。


主な参照先

國學院大學(記紀・神名・氏族・文献の解説)

各神社公式(現在の祭神構成)

文献の書誌(成立・性格)

  • 『藤氏家伝』の成立年代・編者・性格については、『国史大辞典』『日本古典文学大辞典』の各項目、および沖森卓也ほか編『藤氏家伝 鎌足・貞慧・武智麻呂伝 注釈と研究』等の校注・研究書を参照のこと。

※本記事では、記紀・氏族・神名・文献の解説は國學院大學の各データベース・研究ページを、現在の各神社の祭神構成は各神社の公式ページを、それぞれ参照先とした。引用は行わず、内容は要約のうえで記述している。なお、神名の表記・読みや随伴神の構成など、史料ごとに異なる点については、國學院大學「天児屋命」「布刀玉命」「邇芸速日命」の各解説に拠った。

ブログ村参加中☆クリックしてね

ブログランキング・にほんブログ村へ
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次