新生代(古第三紀、新第三紀、第四紀)の概説

ある安定なシステムから次の安定なシステムへの移行が、あるとき突然、しかも急激に発生することがある。
地球史がそれを教えてくれる。

以前の記事で地質年代の表現について書いたが、今回は特に「古第三紀」「新第三紀」「第四紀」について概説したいと思う。

目次

古第三紀について

6600万年前から2300万年前までの時代のこと。
さらに3つに区分され、古い時代から暁新世→始新世→漸新世とつづく。

暁新世ではアフリカと南アメリカは完全に離れ、アフリカと南極大陸も大きく離れていた。ヨーロッパと北アメリカはまだ陸続き状態であった。インドは巨大な島となってインド洋上を北に向かって移動しており、全ての大陸から孤立していたので、次の時代である始新世にアジアに接近するまでは哺乳類(有胎盤類)は生息していなかった。南極とオーストラリアは一つにまとまっていたが、これらの大陸塊が南アメリカと切り離された時期は、白亜紀末とも、暁新世に入ってからとも言われ、はっきりしない。南北アメリカが分離した時期も白亜紀末頃と考えられるが、狭い海峡で隔てられていただけであれば、動物の交流はそれ以降も継続した可能性がある。

植物は、白亜紀に引き続き被子植物が北半球で栄え、この時代にほぼ現代的な様相を示すようになった。

wikipedia「暁新世」

5500万年前の暁新世・始新世境界で突発的温暖化事件(en:Paleocene–Eocene Thermal Maximum)が発生し[6]、暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、新生代では最も高温の時代になった(始新世温暖化極大・始新世高温期)。湿度も高かった。その原因として北大西洋での海底火山活動やそれに伴う1500Gtのメタンハイドレートの融解などの温暖化ガスの大量放出があり、地表5-7℃の気温上昇の温暖化が起こり、元の二酸化炭素濃度に戻るのに3万年を要した[6]とされる。

ヨーロッパと北アメリカは更に大きく離れて大西洋が拡大し、両大陸の連絡は始新世中期には絶たれたが、北アメリカとユーラシアはベーリング海方面で次第に接近し、陸橋となっていた。既に南アメリカと分離していた南極大陸・オーストラリア大陸塊は始新世半ば以降分裂した。インドはアジア大陸に接近しつつあった。

wikipedia「始新世」

漸新世」インドがアジアに衝突し、テチス海は急速に消滅しつつあった(これも海退や気候変動、ひいては多くの動物の絶滅の一因とされる)。アフリカ・南アメリカ・オーストラリア・南極の各大陸は海で隔てられ、孤立している。アルプス山脈ヒマラヤ山脈造山運動が開始された。北アメリカ西部の造山運動は続いている。

wikipedia「漸新世」

古第三紀には日本列島は大陸に接続し、その一部であった。このことは日本列島の基盤岩のつくる帯状構造が大陸に連続すること、また各地に点在する陸成の古第三紀層に大陸地域と共通の大型哺乳類化石が産出するなど、さまざまな証拠から推測される。

2013 太田陽子ら「日本列島の地形学」東京大学出版 p54-p55

新第三紀について

2300万年まえから258万年前までの時代のこと。
さらに2つに区分され、古い時代から中新世→鮮新世とつづく。

日本列島は起伏の多い島国である。その起伏の大部分は、島弧時代の日本列島において最近の数百万年間(ほぼ鮮新世以降)に成長したものである。

近畿地方の近江・京都・奈良・大阪などの盆地群は、盆地と盆地の間を小規模な山地群の存在が特徴的である。このような地形は敦賀付近を頂点とし、南東に伊勢湾にいたる線、南西に淡路島西岸にいたる線、紀伊半島を東西に走る中央構造線の3辺に囲まれた地域に特徴的で、ここは近畿三角帯と呼ばれている。近畿三角帯の凹地を埋める最古の地層は伊勢平野、鈴鹿山地東麓に分布する中新世末、約600万年前の地層(東海層群)で、約100万年前まで続く。鈴鹿山地の西側、名張・伊賀盆地から近江盆地にかけて広く分布する湖成・河成の地層は古琵琶湖層群と呼ばれる。鮮新世初頭の500万年から300万年前ころの砂礫層や湖成の泥層は、現在の琵琶湖から70㎞も南の名張・伊賀盆地に分布し、この上に続く300万年前から100万年前ころの湖成層は、その北側、滋賀県甲賀盆地を中心に分布する。そして現在の琵琶湖の周辺には2百万年前ころ以後の湿地~湖成層が広く分布している。

大阪平野や京都・奈良盆地では、古琵琶湖・東海湖より遅れて沈降がはじまった。大阪湾底の基盤岩上を埋める最古の堆積物(大阪層群最下部)は、鮮新世後期350万年前の年代で、ここでも堆積は盆地の南部にはじまり、北にひろがっていった。300万年前から250万年前ころから大阪湾底に北東ー南西方向の大阪湾断層が発生、断層の東側が大きく沈降しはじめた。そこでは大阪層群の厚さが3000mに達する。一方、大阪平野周辺の丘陵には、およそ100万年以後の大阪層群上部が広く分布する。この部分の大阪層群は、10数枚の海成粘土層をはさみ、繰りかえし海が侵入したことを示している。

2013 太田陽子ら「日本列島の地形学」東京大学出版 p68-70

中新世以降現在まで、地球は一貫して寒冷化の道をたどってきたが、それは一定の割合で徐々に寒くなっていくのではなく、比較的安定した時期と急激に寒冷化が進行する時期の組み合わせで構成されている。急速な寒冷化は中新世前期の1500万年前頃と、鮮新世後期の300万年前以降に生じていることが、化石により知られている。

2005  町田洋ら「第四紀学」P71

第四紀について

258万年前から現在までの時代のこと。
さらに2つに区分され、古い時代から更新世→完新世とつづく。

第四紀が新第三紀と区別される特色として、いくつか理由が挙げられる。

1)現生生物の化石を多く含む地層が形成される時代であること
2)寒冷気候が卓越し、中高緯度地域や産地に氷河が発達した時代であること
3)人類が繁栄する時代であること

実際には気候の寒冷化や高緯度地域における大陸氷河の形成は、すでに第三紀鮮新世から始まっていた。現在みられる地殻変動の開始期も第三紀またはそれ以前にさかのぼることが多い。また人類の出現も鮮新世にさかのぼることがわかってきた。

2005  町田洋ら「第四紀学」P3

ヨーロッパや日本では、第三紀に北半球の広い地域に分布を広げた植物群が絶滅し、かわって北方系の植物群に置き換わる過程が、大型植物群の研究と花粉分析から明らかになった。Szafer(1961)も、ポーランドの鮮新世・更新世の植物化石群を検討し、後期鮮新世から更新世にかけて5回の寒冷期が訪れるごとに、植物が絶滅していく過程を明らかにした。Zagwijn(1957)は、オランダ低地のボーリング試料に基づいて、約300万年前以降の連続した堆積物の花粉分析を行うことで、鮮新世から更新世にかけての植物相、植生と気候の変化を詳細に明らかにした。

日本でも、鮮新世から更新世への植生や植物相の変遷が植物化石資料によって追跡されている。三木(1948)は、近畿地方を中心に鮮新世以降の植物化石群を調べ、時代と種構成に基づいて、鮮新世以降の層序を確立した。

2005  町田洋ら「第四紀学」P213

Zagwijn(1957)が明らかにした、約300万年前以降の連続した堆積物の花粉分析の結果を下記の図に示す。
第三紀の植物化石のうち赤字で示したセコイア型、ヌマスギ型、トチノキ属、ヌマミズキ属が、第四紀の始まりに寒冷化したことにより、マツ属ほか矮性低木や草本で構成される景観になり、その後気候が温暖化しても赤字の樹種は絶滅し戻ってこなかったことがわかる。

2020百原新作成

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