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真言宗と神道――密教が紡いだ神仏習合の世界

目次

はじめに

私はこれまで、真言宗といえば密教のイメージが強く、神道とはあまり関係がないものだと思っていました。しかし調べてみると、真言宗は日本の神道と非常に密接に関わり、独自の神仏習合の世界を築いてきたことが分かりました。この記事では、真言宗と神道の関係、そして密教がどのように神仏習合を推し進めたのかを、学術論文をもとにご紹介します。

「神仏習合とは何か」については、別の記事(神仏習合の歴史)で書いていますので、そちらをご覧ください。

真言宗と神道の意外な関係

真言宗が日本の神道と深く関わるようになった背景には、日本古来の自然信仰と仏教の融合があります。特に空海(弘法大師)が伝えた密教は、日本の神々を密教的な世界観の中に位置づけていきました。

日本では古来、『自然』そのものを神と見なす傾向があり、なかでも『山』は究極の自然、そして神であった。この山岳信仰と結びつくことこそが日本に宗教が定着する条件であると考えられる。そして仏教はそれを成し遂げたと言える。

鍵和田聖子「日本の密教曼陀羅と神仏習合」

空海と高野山における神仏習合――融合した「神」と「仏」

私自身も調べてみて驚いたのですが、空海が高野山を開創する際、すでにその地には在来の山の神々が祀られていました。具体的には、丹生津比売神(にうつひめのかみ)と高野明神(こうやみょうじん)の二柱です。空海はこれらの地主神を、密教の中心仏である大日如来(だいにちにょらい)の守護神として祀り、神と仏の一体化を実践しました。

高野山には、空海の開創以前から神奈備信仰とともに水分の山神である丹生津比売神の信仰―北にある天野川の水源信仰―があった。しかもこの山の山神をまつる司霊者は狩人であったが、この狩人の始祖が、後に神格化されて高野明神となっている。…(中略)空海が高野山を開創する以前から、山には丹生津比売神高野明神という二柱の土地の神が祀られていたため、これら高野山の山神の結合がはかられたのである。高野山の中心をなす伽藍坦場の神聖なる御社山には丹生津比売神と高野明神の社殿がともにならべ祀られているが、空海が高野山を切り開き、寺院を建立するのに先立って地主神を仏の守護神として融合させたものと考えられる。

熊本幸子「空海における神仏習合思想」

この融合は、密教曼荼羅の宇宙観と日本の自然信仰が重なり合った結果であり、空海は日本の神々も大日如来の顕現とみなしていました。

真言密教の教学では曼荼羅世界の実現を特徴とする。その曼荼羅には両部の大経とされる『金剛頂経』と『大日経』の説くところによる金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の二つがある。この金・胎両界曼荼羅は、宇宙の万有を包摂したものであり、万有すべてが大日如来の分霊・分身とされるのである。したがって、このような密教教学の解釈からすれば、日本の天神地祇であれ、高野山の神々であれ、大日如来の顕現にほかならない

熊本幸子「空海における神仏習合思想」

両部神道と真言宗

鎌倉時代には、真言宗系の僧侶たちによって「両部神道」が形成されました。これは、密教の両部曼荼羅(金剛界・胎蔵界)と神道の神々を重ね合わせる思想です。

両部神道系の流派が衆生救済の方面でそれ以上の展開を見せ得なかったのは、やはり教理的な根拠といったものがなく、また民衆を巻き込んでいくような運動組織を持っていなかったことがあるのだと思います。

伊藤聡「両部神道の形成―鎌倉時代を中心に」

両部神道は、密教と神道の融合を目指しつつも、思想的には通俗的な側面も持っていましたが、密教を日本に根付かせるための重要な試みでした。

神仏習合の美術と曼荼羅

真言宗の神仏習合は、美術にも大きな影響を与えました。曼荼羅はもともと密教の宇宙観を表すものですが、日本では神道的な要素や現実の風景が描かれるようになりました。

神道の要素を盛り込んだマンダラに限り以下の三つの共通点を見出した。第一に一つの絵画に複数の仏,神,建造物,人物などが同時に描かれていること。第二に自然風景が描き込まれていることが多く,時にそれが大部分をしめること。第三にその絵画が何らかの形で礼拝対象となっていることである。

鍵和田聖子「日本の密教曼陀羅と神仏習合」

このように、曼荼羅は日本の国土や聖地そのものと重ね合わされ、神仏習合の象徴となっていきました。

おわりに

真言宗と神道の関係について調べてみると、密教が日本の神々を積極的に取り入れ、神仏習合の思想と実践を推し進めてきたことがよく分かりました。特に高野山では、丹生津比売神・高野明神という山の神々と大日如来という仏が融合され、神仏習合が具体的に実践されていたのです。神仏習合の歴史の中で、真言宗が果たした役割はとても大きく、日本の宗教文化の多様性を支えてきたのだと実感しています。

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