世界にはたくさんの神話がある。
ギリシャ神話、北欧神話、日本神話、旧約聖書などである。
神話は民族のアイデンティティであり、ルーツの拠り所となる。
しかし、日本人は二度の世界大戦を経て、神話を義務教育のなかで学ぶ機会を失ってしまった。
みな神話を学ぶ機会を失っているにもかかわらず、国民の象徴かつ神話から系譜を持つ天皇を敬い、お正月には神社へ初詣に行く。
最近では関係書籍が本屋に多く並んでいる。
多くの人が日本のルーツに興味をもっているようだ。
日本神話の出典は、奈良時代初期に完成した「古事記」と「日本書紀」である。
地域によっては「風土記」が残っているかもしれない。
今後は風土記もひもといていきたいと、思っている。
内容の対比
『古事記』は上中下の3巻からなり、日本書紀は全30巻からなる。内容の対比を下表に示す。古事記に記載がなく日本書紀にのみ記載されている舒明天皇以降の記述は、歴史性をもち外国との関係も詳細に記録されている。
「古事記」は712年に元明天皇(第43代)に献上された。上、中、下巻の全3巻で構成され、天地のはじまりから語りだし、第33代の推古天皇までを記す。
編纂を命じたのは天武天皇(第40代)で、朝廷や各氏族が伝える帝紀(天皇家の系譜)と旧辞(朝廷の伝承、説話や物語)に間違いが多いとして、それを再編集させ誤りをただすことを目的としていた。
古事記は和文で書かれており、漢字を音と訓で読めば、日本語で理解できる仕組みとなっている。
古事記は多数の歌を織り込んで演出も加え、文学的な色彩が強い。
山本明「オールカラー地図と写真でよくわかる!古事記」 2019 P50
『日本書紀』は、元正天皇(第44代)の720年に完成したとされる、日本で最初の勅撰国史(天皇の命で編修された国の歴史)である。
編者は天武天皇(第40代)の皇子の舎人親王(とねりしんのう)ですが、ほかに紀清人(きのきよひと)や三宅藤麻呂(みやけのふじまろ)らが編纂の実務を担当した。
全30巻のうち、巻1・2は神話的性格の濃い「神代紀」。巻3の「神武紀」以下、巻30の「持統紀」までは、年月の順に歴代天皇の事蹟や歴史上の事件が漢文で記されている。
『日本書紀』が用いた資料は、『古事記』と較べはるかに多彩で「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も用いられている。巻28以降(天武紀・持統紀)は朝廷の日々の記録に基づく記述も増え、記述の信憑性を高めている。
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishitomonogatari/contents/02.html
古事記は漢字を用いて日本語読みできる記述であり(ローマ字のような使い方といえる)、日本書記は中国や朝鮮半島人も読める漢文(英語のような当時の国際的な共通言語)で記述されており、対象としている読者が異なることがわかる。
日本書紀は物語的要素の記述より歴史書としての役割が強いため、神話部分をのぞき年代を順に追う編年体が採用されている。漢文で記述することは翻訳的な校閲も必要であり、多くの渡来系の人々がかかわっていたと考えられている。また神話部分では別の説を一書として示す記載もあり、 菊理媛尊 (くくりひめのみこと)は日本書記の一書にのみ描かれた神である。
本文ではなく、「一書曰(いっしょいわく/あるしょにいわく)」から始まる、「別の資料を参考に」という追記的な文章において、たった一文だけ名前が見られます。
菊理姫(くくりひめ)とは
【原文】
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
wikipedia 菊理媛神
律令国家の正史として企画編纂された『日本書紀』は中国史書を範とし、その本来の書名は『日本書』であり、「紀」「志」「伝」の三部が揃うことで完全な姿となるはずであった。ところが現在に遺されているのは、養老四年に奏上された『日本書紀』だけである。『「日本書」紀』が奏上された後もしばらくは「志」と「伝」の編纂は試みられていた。その痕跡はいくつかあり、和銅六年(713)に太政官から諸国に命じられたいわゆる『風土記』の編纂は『「日本書」志』のなかの地理志の資料集めと考えられる。「志」というのは、その時代の政治や経済や文化などあらゆる記録が収められるもので、そのなかの一つが「地理志」である。また、「伝」というのは、功績のあった皇子や臣下たちの伝記をいう。そして、その三部が揃わないことには歴史は完全に叙述できないというのが中国における歴史認識であり、律令国家が求めたのもそうした正史であった。
歴史道Vol.12 (朝日新聞出版)2020年11月20日発行P14
日本が国家事業として編纂した歴史書は6書ある。
なかでも神話から記述されているのは日本書紀だけである。
さて、古事記と日本書紀についてみてきたが、この二つの書のうち日本書紀は定期的な勉強会が朝廷内でも開かれていくが、古事記は次第に忘れ去られる。再び古事記に光があたるのは江戸時代となる。本井宣長が「古事記伝」を書いたことで再び脚光をあびるのである。
神話の比較
神話の舞台は、淡路島にはじまり出雲、高千穂と西へうつる。
国生みをする男神の伊邪那岐神と女神の伊邪那美神があらわれる。この2神が次々と島を誕生させ、日本列島が完成していく。
古事記と日本書紀では、登場する神や国生みの内容など多くの違いがみられるが、最大の差は書紀の本文では伊弉冉(イザナミ)が死なないという点である。
伊弉冉を死に追いやったカグツチが登場せず、そのため生きて天照大神、月の神、蛭児につづき素戔嗚(スサノオ)も出産する。当然ながら本文には黄泉の国訪問や、伊弉諾(イザナギ)のミソギの物語も描かれていない。とはいえ一書として記す別伝には、古事記とほぼ同じ話も載せられているが、あくまで異伝扱いである。
日本書紀では、この国生みの話には16種もの一書を掲載し、本文をはるかにしのぐ分量である。国土創成の重要な部分に、異伝もないがしろにできなかったと考えられる。
山本明「オールカラー地図と写真でよくわかる!古事記」 2019 P65
『古事記』と『日本書紀』の神話部分を比較すると、大きな枠組みとしては共通し、初代天皇が高天の原に出自を持つ天つ神の子孫であることを語って天皇代に繋げていく。ちなみに歴代天皇の呼称として親しまれている漢字二字の呼び名(神武とか天武などの呼称で、漢風諡号という)は8世紀後半に淡海三船という学者が一括して付けるまでは存在せず『古事記』にも『日本書紀』にも用いられていない。
歴史道Vol.12 三浦佑之(朝日新聞出版)2020年11月20日発行P17
『日本書紀』は律令国家における歴史認識を反映して、出雲をほかの諸国と同様に山陰道に属する地方の一国として扱うのに対して、『古事記』は古層に存したと思われるヤマトとイヅモとの対立関係を反映しているようにみえる。
歴代天皇の叙述をみると、時代が重なっている天皇の部分では『古事記』と『日本書紀』は同じ出来事を伝えることも多いが、その扱い方には大きな差があることもしばしばである。『古事記』では敗者の側に寄り添いながら伝えようとする意識を濃厚に漂わせているのに対して、『日本書紀』では、あくまでも天皇の側から出来事を叙述する。
まとめ
対比してみると古事記と日本書紀は神話の起源に違いを感じる。
古事記の神話にある稲羽のシロウサギの神話などは、インドネシアや東南アジアに類似している神話が存在している。
天孫降臨などの神話は北方系の人々が伝える神話であることが知られ、朝鮮半島の檀君神話や首露王神話と同系統と考えられている。そこには日本人の起源を探るヒントが隠されているように感じる。
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