【第45代】 聖武天皇 -災害と疫病に悩まされた人生、突然の出家で男性天皇初の譲位-

今回は、東大寺の大仏の造立を始めたことで有名な聖武天皇について深堀りしていこうと思う。
聖武天皇は仏教の信仰が深く、仏教に帰依することで護国を考えていた。
その背景には、天然痘の流行や、大地震などの影響があったといわれている。
聖武天皇について、深く知りたいと思った方はぜひ読んで欲しい。

目次

聖武天皇の即位時、実権を握っていたのは長屋王

生:七〇一年、没:七五六年
在位年:七二四年~七四九年
父は文武天皇(第42代天皇)、母は藤原宮子(藤原不比等の娘)である。

724年2月、聖武天皇24歳のとき、元正天皇から譲位され即位した。
即位当時、政治の実権は長屋王が握っていた。

同月、母である藤原宮子に大夫人の称号を与えることとしたが、長屋王が公式令で定められる規定に違反すると主張し、聖武天皇はこれに従った。(辛巳事件 別名:藤原宮子大夫人称号事件)この事件の詳細は以下の通りである。

 この月、聖武天皇は勅して藤原夫人を尊び、大夫人の称号を賦与することとした。ところが翌三月になって、左大臣、長屋王らがこれを問題視する奏言を行った。長屋王らが言うには、二月の勅をみると、藤原夫人を大夫人と称するとあるが、公式令を調べてみると皇太夫人と称することになっている。先勅によれば皇の字を失うことになり、令文を用いようとすれば違勅となる恐れがある、というのである。しかたなく天皇は先勅を追収して、新たに文書に記すときは皇太夫人とし、口頭の場合は大御祖とする旨を詔したのである。
 これがいわゆる藤原宮子大夫人称号事件であるが、当時天皇と藤原氏に対抗していた長屋王らが律令を持ち出して攻勢に出たものとみられる。天皇側は不意に法律論争を挑まれ、結果として長屋王らの主張を認めざるを得なかった。この事件は天皇が律令の法源であることを考えれば先勅を押し通すことも可能であったわけで、天皇と律令の関係や天皇と貴族層との力関係を考えるうえで興味深い素材を提供しているといえる。いずれにせよ、この恨みがのちの長屋王の変の伏線となったことはいうまでもない。

中公新書 歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか(増補版) 笠原英彦

長屋王とは・・・
天武天皇の長子である高市皇子の息子(つまり天武天皇の孫にあたる)。
豊富な財力を持ち、国内外の有力者とも繋がりを持っていたとされる。

長屋王の変、暗躍する藤原四兄弟

729年2月、長屋王が呪詛を行って国家転覆をはかっていると密告があった。
これを受けて、藤原宇合(うまかい 四兄弟の三男)らが率いる軍勢により、長屋王が自尽に追い込まれてしまう。
しかも、実際には全くのでっち上げであり、讒言によるものであることが後に分かっている。
いうまでもなく藤原氏(藤原四兄弟)の謀略であり、これを長屋王の変と呼ぶ。

長屋王の変の背景として、聖武天皇の妻である光明子(こちらも藤原不比等の娘)の立后を巡る対立があった。
聖武天皇・藤原氏側は光明子の立后を望んだが、長屋王は強く反対した。
というのも当時の慣習では、天皇崩御後に皇后が天皇に即位することになっていたために、将来的に光明子、つまり皇族以外の人物が天皇になる可能性が出てしまうため、長屋王は反対したものとみられる。
長屋王を陥れ、光明子の立后が実現され、民間出身初の皇后となった。
長屋王の変についての詳細は以下の通りである。

 そこへ長屋王謀叛の報がもたらされた。塗部造君足と中臣宮処連東人らにより、左大臣長屋王が密かに左道(妖術)を学び、国家を傾けようとしているとの密告があった。天皇はただちに鈴鹿、不破、愛発の三関を固め、式部卿藤原宇合、衛門佐佐味朝臣虫麻呂らを遣わして長屋王の邸を包囲した。長屋王は何ら弁明する余地なく、自尽して果てた。まもなく妻子らも後を追って殉死した。もっとも事件はのちに讒言であったことが明らかとなる。

中公新書 歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか(増補版) 笠原英彦

藤原四兄弟とは・・・
藤原不比等の四人の息子たちである。
・長男:藤原武智麻呂(むちまろ)*南家
・次男:藤原房前(ふささき)  *北家
・三男:藤原宇合(うまかい)  *式家
・四男:藤原麻呂(まろ)    *京家

吉備真備・玄昉が唐から帰国、大地震の発生、天然痘が大流行

734年、畿内七道地震が発生。
続日本紀によれば、大地震で天下の百姓家屋が壊れ、圧死した者も多く、山崩れや川塞がるところ、地割れも数多かったという。

735年、吉備真備と玄昉が唐から帰国した。
吉備真備は学問書・楽器など、玄昉は仏教の経典を持ち帰ったとされる。
一説には、この二人の帰国時に天然痘が日本に持ち込まれてしまったともいわれるが・・

737年には日本全土で天然痘が大流行してしまう。
一説では人口の30%近く、約100万人以上もの死者を出す大惨事であった。
当時の日本の状況は、2021年現在の新型コロナウイルス蔓延と比べものならないほど悲惨なものであることが推察される。

当然のことながら、朝廷内でも天然痘が蔓延してしまった。
これにより藤原四兄弟が全員、天然痘で亡くなってしまったのである。藤原氏は一気に衰退していった。
前章で述べた長屋王の変の後のことであったため、長屋王の呪いではないかと大変恐れられた。

738年には、藤原四兄弟が亡くなったことを受け、聖武天皇は橘諸兄を右大臣に任命した。
さらに、唐から帰国した吉備真備と玄昉を橘諸兄の補佐役として政治に参画させた。

阿部内親王(孝謙天皇/称徳天皇)の立太子


738年、聖武天皇と光明皇后の娘である阿部内親王が立太子された。史上初の女性皇太子であった。
聖武天皇には男子が育たず、後継者は女性のみという状況であったためである。

阿部内親王は後に第46代 孝謙天皇となる。また、重祚(再び即位)して第48代 称徳天皇となる
孝謙天皇・称徳天皇については以下の記事で取り上げている。

聖武天皇による度重なる遷都

当時の考え方として、災害や疫病が発生するのは政治が悪いためである、といったものがあった。
こういった悪い状況をなんとか打破したいという聖武天皇のお気持ちが強かったため遷都を繰り返したともいわれる。

740年、平城京から恭仁京に遷都した。(恭仁京の正式名称は大養徳恭仁大宮で、場所は現在の京都府木津川市加茂町)
この遷都は、藤原広嗣(藤原四兄弟の三男、藤原宇合の息子)の乱から逃げるためだったともいわれている。
恭仁京が都だったのは、740年12月から744年2月のわずか4年間であったが、恭仁京の造営は頓挫し、恭仁京は未完成のままとなった。

742年にはさらに、恭仁京造営と並行して、近江の国に紫香楽宮の造営を開始した。
744年2月、恭仁京造営が未完の状態で、都は難波宮に遷都された。(場所は現在の大阪市中央区)

度重なる遷都は、人民に多大な労働を強いる結果となった。

聖武天皇の政策

741年、国分寺建立の詔を発し、
743年、廬舎那仏造顕の詔(大仏造立の詔)を発した。この頃から聖武天皇は仏教に傾倒し始める。
仏教により災害や疫病から国家を護るという、鎮護国家の政策を打ち出していくが、人民にとっては過酷な労働となった。

 聖武天皇の発願によって建立された東大寺(奈良市)は、南都六宗(平城京で栄えた華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗の6宗派)すべてを代表する大本山であった。
 本尊の大仏(廬舎那仏)は、743年に聖武天皇の詔によって造立が始まり、752年にインド僧の菩提僊那を招いて開眼供養会が催された。ところが、仏教による鎮護国家を願った聖武の夢も虚しく、実際には、大規模な建設工事によって財政事情を悪化させたばかりか、農民層に負担が重くのしかかったことで、餓死者が後を絶たず、社会情勢を悪化させている。
 なお、大仏は2度消失しており、現存する大仏殿は、江戸時代に再建されたものである。

西東社 ビジュアル百科 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史 山本博文

また743年には、以下の農業に関する政策も発表している。

  • 墾田永年私財法
  • 百万町歩開墾計画
  • 三世一身法

農民に土地の権利を与えて、開墾する意欲を上げることを目的とした政策であったが、思うように農民は開墾しなかった。
というのも、天然痘の影響で農民の数が激減してしまったからである。また、これらの政策により、公地公民という考え方が崩れてしまった。

聖武天皇 突然の出家により、娘(孝謙天皇)へ譲位

749年、聖武天皇は仏教に傾倒するあまり、ある日突然、出家してしまった。
神道の神である天皇陛下が、仏教に帰依して出家してしまうこと自体、前代未聞であった。
このことにより、朝廷は大混乱したことは言うまでもない。

その後は娘で皇太子の阿部内親王(孝謙天皇)に譲位され、自身は太上天皇となった。
ちなみに、存命のうちに譲位した初めての男性の天皇が、聖武天皇であった。

752年、聖武太政天皇は、念願の大仏の完成を祝う、大仏開眼会に参列した。

756年5月、聖武太上天皇は崩御された。56歳の時であった。
佐保山南陵(奈良市法蓮町)に葬られたといわれる。
病弱であったとされるが、当時にしては長く生きた天皇陛下であったといえるだろう。

今回は聖武天皇について、時代背景とともに書いてみた。いかがだっただろうか。
災害や疫病に悩まされた人生であったと推察されるが、最後には大仏の完成をみることができたようである。
娘に譲位して引退されることになったために、その後に皇位継承問題(道鏡事件)が発生することになる。
そのことについては、以下の記事を読んで欲しい。

今後も天皇陛下について、お一方ずつ調べてみて、分かったことを記事にしていきたいと思う。


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