憲法とは国の最高法規であり、すべての法律は憲法に従ってつくられている。
そして日本における憲法は、「日本国憲法」である。
日本国憲法について、「敗戦後に連合国軍の占領下で押しつけられた憲法なのでは?」という声や、「項目によっては時代に合っていないのでは?」という意見が多数出てきているようだ。
そこで、今回の記事では
- 日本国憲法はどのような過程で成立したか
- 憲法をつくる過程で連合国軍総司令部(GHQ)はどのように関与したか
これらをできるだけ分かりやすく、明らかにしていきたい。
今後、憲法改正考える上でも重要な視点になるはずである。
参考にした資料は「『日本国憲法の制定過程』に関する資料 衆議院憲法審査会事務局 平成28年11月」である。
日本国憲法の成立過程
明治憲法から日本国憲法への変革 -ポツダム宣言の受諾-
- 1945年7月26日 ポツダム宣言の勧告
- 1945年8月14日 ポツダム宣言受諾
- 1945年8月15日 敗戦
ポツダム宣言とは日本の降伏を勧告するための宣言のことである。
日本の武装解除、非軍事国化、民主化、国際社会への復帰、…etc などの条件を定めたものであった。
これを日本が受諾したことにより、ポツダム宣言の条件に従って変革することを要求された。
この要求に基づき最高法規たる憲法の再構築、すなわち大日本帝国憲法(明治憲法)の改正が必要となったのである。
日本が連合国軍(実質アメリカ)に占領されていた期間に日本国憲法はできた。
占領期:1945年9月2日~1952年4月28日(サンフランシスコ講和条約が発効されるまで)
ここで問題になったのは、国民主権 or 天皇主権 である。
今日では国民主権が当たり前であり、教科書でそのように学んできた。
しかし、明治時代からこの時までは、天皇主権が当たり前であった。
したがって天皇主権体制を終わらせるということは、
日本という国そのもの(いわゆる国体)を変えてしまう、いわば革命的な変化を意味する。
このポツダム宣言との関連で深刻な問題となったのは、日本の「国体」(ここでは「天皇に主権が存することを根本原理とする国家体制」及び「天皇が統治権を総攬するという国家体制」を指す。)が護持されるかどうかであった。
ポツダム宣言(12項)は、国民主権の原理を採用することを要求していると連合国軍総司令部は解していたが、日本政府は、ポツダム宣言は国民主権主義の採用を必ずしも要求するものではなく、国体は護持できると考えていた。したがってまた、ポツダム宣言には必ずしも明治憲法の改正の要求は含まれておらず、明治憲法を改正しなくても、運用によって宣言の趣旨に沿う新しい政府をつくることは可能であると考えていた。
『日本国憲法の制定過程』に関する資料 衆議院憲法審査会事務局 平成28年11月
松本案とマッカーサー草案
- 1946年2月1日 毎日新聞のスクープにより松本案が暴露される
- 1946年2月8日 憲法改正要綱(松本案をもとに作成)をGHQに提出するが、拒否される
- 1946年2月13日 GHQが、総司令部案を日本側に交付
GHQから明治憲法を自由主義化する必要があるとの意向を受け、日本政府は国務大臣 松本を委員長とする憲法問題調査委員会を立ち上げた。
いわゆる松本案では、天皇の地位を保持しつつ、国民の権利と自由を保障する方向で検討していた。
ただ、松本案が正式に発表される前に、毎日新聞のスクープ報道により内容が明かにされてしまう。
これによりGHQはその全容を正式発表前に知ることになった。
GHQは天皇主権の保持を受け入れられず、GHQ独自の憲法草案作成を決定したと考えられる。
GHQと日本政府の合意
- 1946年3月4日 日本政府は三月二日案をGHQに提出
- 1946年3月6日 憲法改正草案要綱を決定
総司令部案が日本側に交付され、日本政府はこれを日本語訳する形で「三月二日案」を作成し、GHQに提出した。
この三月二日案をもとに、日本政府とGHQは内容を煮詰め「憲法改正草案要綱」を決定し、国民に公表した。
総司令部案を翻訳して憲法改正草案要綱が決定された。
つまり内容は総司令部が決めて作ったのであって、日本側には決定権がなかったということである。
このような経緯から、「日本国憲法はGHQに押し付けられた憲法なのではないか?」という意見が多くみられるようになったと考えられる。
しかしながら後の章で述べるが、GHQ側も当然こういった問題点は認識していた。
また、わずか数日で憲法改正草案要綱の決定まで至った背景についても後の章で述べることとする。
日本国内での合意(議会の議決)と決定
衆議院、貴族院での若干の修正を経て、以下の過程で国内の合意を得て、日本国憲法は成立した。
- 1946年10月7日に議決
- 1946年11月13日 「日本国憲法」が公布
- 1947年5月3日 「日本国憲法」が施行される
日本国憲法の成立に対するGHQの関与
日本国憲法がGHQによって押し付けられたものではないかといわれる理由は以下の二点であると考えられる。
日本国憲法がGHQによって押し付けられたものと言われる2つの理由
- 三月二日案(総司令部案の日本語訳)から「憲法改正草案要綱」(最終案)に至るまでの時間の短さが不自然
- 総司令部案が日本語訳され、結果としてそれを元に整理して日本国憲法が成立したこと。
まず一点目について述べていく。
「三月二日案」から、最終案の「憲法改正草案要綱」に至るまでのかかった時間はわずか二日間(3月4日~5日)であった。
実際に、ほとんど徹夜で全項目について折衝したとのことである。
ここで不可解に思えるのは、”なぜ徹夜で作業するほどに急いだのか?”である。
これについては、以下の衆議院憲法審査会の資料を読んで欲しい。
なお、「総司令部が草案作成を急いだ最大の理由は、2月26日に活動を開始することが予定されていた極東委員会(連合国11ヵ国の代表者から成る日本占領統治の最高機関)の一部に天皇制廃止論が強かったので、それに批判的な総司令部の意向を盛り込んだ改正案を既成事実化しておくことが必要かつ望ましい、と考えたからだと言われる。もっとも、草案起草は一週間という短期間に行われたが、総司令部では、昭和20年の段階から憲法改正の研究と準備がある程度進められており、アメリカ政府との間で意見の交換も行われていた」との指摘(芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法(第6版)』(岩波書店、2015年)25頁)もある。
『日本国憲法の制定過程』に関する資料 衆議院憲法審査会事務局 平成28年11月
上記のような事情により、GHQは憲法改正草案要綱を日本国民に公表するところまでは、急ぎで実施したのだと思われる。
なぜGHQが天皇制を守る立場であったのか、その理由については調べきれていないため言及は避けることにする。
極東委員会
第二次世界大戦後の連合国による日本占領政策決定機関である。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国、インド、オランダ、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランド、フィリピンの11ヵ国で構成されていた。のちにビルマとパキスタンが参加する。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効とともに消滅した。
マッカーサー書簡
日本国憲法がGHQによって押し付けられたものと言われる2つの理由
- 三月二日案(総司令部案の日本語訳)から「憲法改正草案要綱」(最終案)に至るまでの時間の短さが不自然
- 総司令部案が日本語訳され、結果としてそれを元に整理して日本国憲法が成立したこと。
次に、日本国憲法がGHQによって押し付けられたものといわれる第二の理由として述べた、
総総司令部案が日本語訳され、結果としてそれを元に整理して日本国憲法が成立したこと、について考えてみる。
総司令部案が日本政府に交付され、大きな変更もなく、そのまま日本国憲法の成立を迎えたのは事実である。
さらに日本国憲法の最終案が急がれたのは、極東委員会での議論に先んじて、GHQの考えを通したかったからであった。
しかしながら、1946年10月17日に極東委員会にて、日本国憲法を成立する過程において
日本国民の自由意志が反映されているかどうか疑義があるとし、日本国民に対して再検討の機会を与えるべきであると決定した。
この決定は、日本国憲法が国会で議決された後、かつ正式に日本国憲法が公布される前というタイミングであった。
これを受け日本国憲法が公布された後、1947年1月3日に総司令部はマッカーサー書簡を吉田首相に対して送付した。
つまりGHQは、日本国憲法はGHQ主導で作成されたことを暗に認めたということである。
さらに国会主導(つまり日本国民の自由意志)により、1年から2年以内での日本国憲法を改正を提案している。
ここから読み取れることは、GHQは、日本が独自に憲法を構築することを望んでいるというこだ。
しかしながら、ご存知の通り、その後日本国憲法は改正されずに現在に至っている。
(*ちなみに上記の極東委員会の決定は、1946年3月27日に日本国民に公表された。)
以上の経緯より、たしかに押し付けられたとはいえ、憲法改正が全くできないという状況ではなかった。
少なくともGHQは、すぐにでも憲法改正できるように、文書としてエビデンスまで残してくれていた。
まとめ
たしかに、日本国憲法はGHQ主導でつくられたと言えるが、押し付けられたと結論付けるのは、日本国民として無責任な言い方になると感じた。
日本が憲法を改正することをアメリカをはじめとした国際社会から制限されていた訳ではなかった。
したがって、日本国憲法を改正しないという選択を取ったのは、日本国民であると言えるだろう。
日本国憲法は日本の最高法規であって、日本国民によって再検討・再構築していく義務があるはずである。
私たち日本国民自身が、自分事として考え、憲法改正が必要と思えば、そういう政策案を持つ政治家に託したり、あるいは、何らかの形で自由意志を表明していくことが、大事なことではないだろうか。
この記事が、日本国憲法を再検討するきっかけになれば、幸いである。
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