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列島人類史ー日本の旧石器時代遺跡の分布を調べるー

日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)がいつ頃到達したのか?という疑問は、長年多くの研究者が多角的に迫っている。

本記事では、日本列島人類史の始まりである旧石器時代に焦点をあてる。旧石器時代とは何か?日本には旧石器時代遺跡がどれくらい分布しているのか?そのような視点で旧石器時代の概論を書きたい。また、旧石器時代遺跡を俯瞰するツール、分布地図をQGISで作成する方法もあわせて紹介する。

目次

旧石器時代とは?

現在、日本語を母語としている国、それが我らの国、にっぽんである。しかし、日本列島の歴史を深く知るためには、国家の枠組みが生まれる前、最初のいきさつを知ることが必要である。
まずは、アフリカで生まれた新人類(ホモ・サピエンス)について、すこし知ってみよう。

 約十五万年前、アフリカのホモ・ハイデルベルゲンシスのなかから、新しい特徴をもった人びとが現われる。ホモ・サピエンス、つまり私たちだ。丸く高い頭蓋骨、平たい顔面とはっきりとした顎の突出、比較的長い手足、などの身体的特徴のほか、著しいのは脳の進化である。
 ホモ・サピエンスすなわち新人(現生人類)の脳の発達は、やはり、かれらが生み出した道具から読みとることができる。ひとことでいえば、原人の段階で獲得していた美の感覚やそれを物質に表そうとする性向と、旧人段階のものづくりで顕在化していたさらに合理的な知識体系とが新人段階において総合された、とでも表現できるだろうか。具体的にみてみよう。
 まず目立つのは、道具の緻密さだ。打ち割った石の本体ではなく、かけら(剥片はくへん)のほうに手を加えた石器(剥片石器)は、すでに旧人の段階からしだいに増えてはいる。だが、ホモ・サピエンスの段階になると、石材の目を知りつくし、特定の箇所に絶妙にコントロールした打撃を加えてやることによって、石刃と呼ばれる形のそろった長い剥片を連続的にとる技法が確立した。かれらなりの科学と物理の経験的知識を織り込んだ高度なものづくりだ。

松木武彦(2007)「全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記」小学館 P29

ヒトは、最初は狩猟採集集団として出発しました。
最初にアフリカを出たときもそれは変わりませんでした。ですから人類の最初の拡散の様子は、自然界で手に入る食糧資源に依存していたはずです。私たちの祖先はネアンデルタール人のような先行人類に比べると卓越したハンターであったようですから、大型の哺乳類を追って大陸に広がっていったと考えられます。この時期は氷河期にあたり、全体としては寒冷化していましたが、時代によってはやや温暖な時期もあったようです。
温暖化と寒冷化のサイクルにしたがって人類は南北方向の移動を繰り返したと思われます。

篠田謙一.新版日本人になった祖先たちDNAが解明する多元的構造NHKブックス(Kindleの位置No.612-618).NHK出版.Kindle版.

最初の集団がアフリカを旅立った時期について、今のところおおざっぱには6万年くらい前のことだと捉えられています。最近では、後述する中東地域以外にも、6万年前よりも前にホモ・サピエンスが出アフリカを果たしたとされる考古学的な証拠が増えてきました。しかし現状では多くの研究者は、私たちの持つ遺伝的な多様性から判断して、それらの出アフリカを成し遂げた集団は、現代人につながっていないと考えています。私たちの直接の祖先の旅立ちは1回限りの出来事で、もし複数回の出アフリカがあったとしても、それは同じ集団が成し遂げたものであったようです。それにしても私たちの祖先は15万年くらい前にはすでに誕生していたのですから、ずいぶんと長い間アフリカにとどまっていたことになります。何度もあった出アフリカで、成功したのが最後のものだけだったのかもしれません。なぜ出アフリカまでかくも長い時間がかかったのか、出アフリカを果たした直接の原因は何だったのかなど、この分野にはまだまだ解明すべき謎が残されています。

篠田 謙一. 新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造 NHKブックス (Kindle の位置No.797-800). NHK出版. Kindle 版.

アフリカで生まれた新人類は、約6万年前に何らかの理由でアフリカを脱出する。
その後、世界中に拡散していく。
アジア大陸を横断し、あるいは海岸伝いに、やがて日本列島にたどりつく。

著名な博物館学者でありながら、イギリスの銀行家でもあったジョン・ラボック(1834年-1913年)は、自著『先史時代』に初めて「旧石器時代」という用語を使った。地質学においては、すでにこの時代は第四紀と位置づけられ、その後人類の活動、氷河期(ウルム氷期)の発達がみられる第四紀前半を更新世といい、これ以降を完新世と区分されている。また永年の旧石器時代研究をもつヨーロッパでは、旧石器時代を下部、中部、上部に分け、この区分に対して概ね人類進化の段階である原人・旧人・新人に対応させている。日本では1949年(昭和24)、相沢忠洋が群馬県の岩宿遺跡で関東ローム層中からこの時代の石器を発見したことがきっかけとなり、それ以後続々と各地域で遺跡の発見につながっていった。

東金市 デジタル歴史館
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1221305100/1221305100200080/ht000020


日本列島で最古の存在証明とされているのは、約4万年前の石器である。約4万年前は旧石器時代を前期(約260万年前~約30万年前)・中期(約30万年前~約4万年前)・後期(約4万年前~約1万年前)の3つに分けるヨーロッパの時代区分でみると後期に相当する。

日本には旧石器時代の遺跡がどのくらいある?

日本旧石器学会が整備した「データベース日本列島の旧石器時代遺跡」というHPがある。→こちら
日本旧石器学会とは、2000年に発覚した「神の手」事件(wikipedia)を受け、2003年に発足した学会である。
このデータベースは約180名の方が参画したようだ。

旧石器時代と縄文時代草創期の遺跡/文化層の合計数(=データ数)は16,771である。このなかで旧石器時代と縄文時代草創期に該当する遺跡/文化層を数えると、それぞれ14,542と2,526になる。両者は、重複文化層を1遺跡として遺跡単位で数えると、それぞれ10,150と2,432になる。旧石器時代の遺跡/文化層のうち、ナイフ形石器文化に属するものは9,681、細石刃文化に属するものは1,834であった。

日本旧石器学会データベース委員会(2010)「1 日本列島旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡・縄文時代草創期遺跡に関するデータベースの公開にあたって」日本列島の旧石器時代遺跡―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―

今回のデータベースにより、日本列島の旧石器時代遺跡が約10,100ヵ所、縄文時代草創期遺跡が約2,400ヵ所であることが判明した。44万ヵ所という文化庁概算の列島全遺跡数のなかでは、いずれもさほど大きな割合を占めるわけではない。しかし、旧石器時代遺跡は1990年時点での概算の2倍以上となり、年代の古さや深い地層に含まれることを考慮すれば、研究資料としては十分にまとまった数といえよう。ー略ー
便利な情報検索システムができれば、そのシステムが独り歩きする傾向はさけられない。データベースを基礎に表やグラフに工夫を凝らした論文が作成されるのはよいが、ただそればかりが量産されるようでは未来が危うい。
一つの遺跡を歩き、一個の遺物を実測することから考古学研究がはじまることをあらためて想起しておきたい。

稲田孝司(2010)「2 日本列島の旧石器時代遺跡とデータベース作成事業」日本列島の旧石器時代遺跡―日本旧石器(先土器・岩宿)時代遺跡のデータベース―

2010年当時、全国の遺跡は44万か所とされ、そのうち約1万か所が旧石器時代の遺跡だった。毎年遺跡は発掘され、記録保存がされている。データベース公開から10年を経て、データ更新が望まれる。2021年の報告(文化庁2021「発掘された日本列島2021調査研究最前線」)では旧石器時代の新たな発見が記載されていた。こうして毎年、遺跡の発掘報告は積み重ねられている。

京都府では、道路工事に伴う発掘調査でこの地域では数少ない旧石器時代遺跡が二つみつかりました。
ー略ー
近畿において3万年をさかのぼる旧石器時代遺跡が見つかること自体珍しいことです。

文化庁2021「発掘された日本列島2021調査研究最前線」P60

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