縄文時代のくらしとはどのようなものだっただろうか。以前の記事では縄文時代の植物利用を紹介した。縄文時代の人々は植物の種類に応じて様々な植物の使い方をしていた。詳しい内容は↓の記事もどうぞ。
本記事では、縄文時代のニワトコ利用の最新研究を紹介したい。
本記事を書くきっかけとなった研究は「縄文時代におけるニワトコ果実の用途の推定」平岡 和・那須 浩郎・金子 明祐(2022),植生史研究 第30巻 第2号P.71~85である。本記事で紹介する際は(平岡ほか2022)と記載する。
ニワトコとはどんな植物か
日本に自生するニワトコ属はスイカズラ科(エングラーおよびクロンキスト分類体系)とガマズミ科(APG分類体系2017年より)に含まれる(参考:「植物和名ー学名インデックス YList」(略称:YList))。日本のニワトコ属には、本州~九州、朝鮮半島南部、中国に分布するSambucus racemosa L. subsp. sieboldiana (Miq.) H.Hara(和名:ニワトコ)と北海道~関東地方北部、南千島、カムチャッカ、朝鮮半島、中国に分布するSambucus racemosa L. subsp. kamtschatica (E.L.Wolf) Hultén(和名:エゾニワトコ)の2種の亜種が存在する。西洋のニワトコ属の分類には諸説あるが、花(エルダーフラワー)や黒く熟した果実(エルダーベリー)を食品に利用するSambucus nigra L.(和名:セイヨウニワトコ)はヨーロッパから西アジアを原産地とし、世界各地に分布を広げている。
日本のニワトコ属は古くから生薬として利用されており、茎を粉末にし、水を加えて練った物をガーゼに塗り、打撲傷やうち身に用いられている。若葉や花は利尿効果があり接骨木葉(セッコツボクヨウ)、接骨木花(セッコツボクカ)という呼称の生薬になる。ニワトコは、山多豆(やまたづ)、造木(みやつこぎ)、瘤木(こぶのき)とも呼ばれ、「やまたづ」は「迎へ」の枕詞として和歌に登場し、「古事記」や「万葉集」にも詠まれている。(参考:生薬の花:日本薬学会)
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
衣通王 巻2-0090
白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に 打ち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 賊守る 筑紫に至り 山の極 野の極見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み 蟾蜍の さ渡る極み 国形を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の 岡辺の道に 紅躑躅の にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば (長歌)
高橋蟲麻呂 巻6-0971
縄文時代の遺跡から出土しているニワトコについて
今までの様々な研究により縄文時代でもニワトコが食用や薬用に利用された可能性が示されている。以前、↓記事で紹介した「大型植物遺体データベース」を用いて「ニワトコ」と「縄文時代」を検索する。
縄文時代のニワトコ属核(種子)が出土した件数は154件だった(平岡ほか2022)。人為的な要素の強い産出状況であること(平岡ほか2022)や腐果実を好む昆虫遺体も一緒に出土していること(森 勇一 1998「ニワトコの種子集積層から産出した双翅目のサナギについて」史跡三内丸山遺跡年俸2,17-25など)から、果実が酒造に利用され、祭祀儀礼が営まれた可能性が指摘されている。
ニワトコの利用方法を推理する
そもそも本当にニワトコからお酒が造れるのだろうか。前出の研究(平岡ほか2022)では、ニワトコの酒造について発酵試験をおこなったが、糖度の低さ・pHの高さなどからニワトコ果実を主体にした酒造が行われていたとは考えにくいという結果であった。
酒造以外のニワトコ果実の用途として、1)ビタミン源として食用、2)呪術・祭祀への利用が想定される。それらの根拠として、1)エゾニワトコ果実は比較的ビタミン類含有量が多く、加熱や発酵などの加工や、核の除去により有毒なシアン化合物の減少が期待できること、2)エゾニワトコには、枝の臭気や髄の外観に由来する呪術・祭祀利用の事例が豊富であり、廃棄遺構や埋葬遺構からの果実の出土も報告されていることを挙げた。
「縄文時代におけるニワトコ果実の用途の推定」平岡 和・那須 浩郎・金子 明祐(2022),植生史研究 第30巻 第2号P.71~85
上記論文にはアイヌ民族の呪術・祭祀利用の記録があり、ニワトコがイナウに使われていることを知った。イナウとはアイヌ民族の樹木を削った祭祀道具のことである。アイヌの植物利用も今後紹介したいが、気になって少し調べてみたところアイヌ民族だけでなく、樹木を削った「削りかけ」「削り花」という祭祀道具は日本中にあり、材料にニワトコが使われることがあるようだ(参考:埼玉の小正月飾り)。紙が手に入りにくい時代の御幣として使用されていたのが「削りかけ」である。この習俗はユーラシアの北方民族、南は中国沿岸部、マレーシア、ボルネオ諸島の諸民族などにもあるという。祭祀に使用されている植物の種類などはひきつづき調べてみたい。
おわりに
縄文時代の遺跡からよく出土するニワトコ。いったい縄文人が何に使用していたのか、利用可能性の追求は続く。縄文時代の遺跡から出土する大型植物遺体のなかで気になっているのは、フユザンショウ、サンショウ、カラスザンショウである。理由は下記のとおりである。縄文人が土器でスパイス入れて肉や魚を煮ていたのではないか?なんて思うわけである。
『魏志倭人伝』には倭国の山野の産物を幾つか紹介してから、「薑(しょうが)、橘(たちばな)、椒(さんしょう)、蘘荷(みょうが)もあるが、滋味ある食物として利用することを知らない。」とわざわざ断っている。・・・略・・・調べてみると、確かにサンショウ類は、縄文時代からずっと日本人の身近にあった。しかし、それがどのように利用されていたのか、考古資料からは想像の域を出ない部分も多い。律令国家が成立し、文字が使われる時代になると、文字史料としてサンショウやショウガを確認することができる。
平成 25 年度の山崎香辛料財団の研究助成「香辛料利用からみた古代日本の食文化の生成に関する研究」報告書 序文より
今回、インスピレーションを得たブログを最後に紹介したい。いにしえびとの音楽会というブログで、作家や編集者として活躍されている著者が書かている古代史ブログである。ロマン感じるワクワクする構成と内容である。
著者である布留静人(ふるしずと)氏にコメントを賜りました。
ありがとうございます。
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