今日は主に下記書籍を紹介したい。
著者は国立科学博物館の研究者であり、専門分野は「分子人類学」である。
研究者紹介のHP→こちら
遺伝子で探る人類史
学術的進歩が著しい分子生物学、いわゆるDNAの解析によって人類史を探ることは興味深い。
わたしたち日本人の祖先はどのような人々だったのだろうか。
どのように日本列島にたどりつき、どのような暮らしを送り、どんな想いで暮らし、どのような想いを子孫に託したのか。
私は自分が存在している意義をすこしでも感じたくて、それらを知りたいと思うのかもしれない。
アフリカでの化石人骨の再検討とともに現代人のDNA分析が進んだことで、現在では、私たち現代人はおよそ20万年前にアフリカで誕生し、6万年前ほど前にアフリカから出て世界に広がった人々の子孫であるという「新人のアフリカ起源説」が定説として受け入れられています。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
下の図は「DNAと考古学的な証拠から描かれた新人の初期拡散の経路とその時期」を模式的に描いたものである。ただし、この拡散は初期拡散と呼ばれており、現在その地に住んでいる人々との直接的な先祖かというと、それは別の論点となる。長い歴史のなかで離合集散し、現在の集団になっていることを忘れてはならない。
たとえば日本列島には、1万6000年前から3000年ほど前まで、縄文人と呼ばれる人たちが住んでいました。彼らは今の日本人に遺伝子を残していますが、その割合は1割から2割程度であり、私たちの遺伝子の大部分は弥生時代以降に大陸から渡ってきた人々がもたらしたものなのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
言葉の定義というのは大事かつ難しいものであり、まずはDNAについて少し説明をしたい。
篠田先生の書籍から引用させていただく。
親子関係を判定するためには、親と子が同じDNA配列を持ち、しかも他人とは異なっていなければなりません。DNAの配列は私たちの体を作る設計図ですから、実はその大部分は人類全体で共通なのです。ですからたいていの遺伝子は両親が同じものを持っています。でもヒトのDNAをよく調べると、DNA配列が突然変異を起こして他人と変わっている部分があります。変化を起こした当人とその親では、その部分のDNA配列は違ってしまいますが、それ以降の子孫たちは変化を起こしたDNAを持つことになり、ほかの人たちとは区別できることになります。私たちのDNAにはこうした変化を起こしやすい場所がいくつもあるので、結果的に様々なタイプが生まれています。研究者はそういうDNAの配列部分を調べて、鑑定を行っているのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
私たちが日常の会話で遺伝子とかDNAという言葉を使うとき、たとえば「創業者のDNAが生きている」とか「ものつくりのDNA」などと言うときには、DNAは代々変わらずに、そのまま受け継がれ、同じような形で発現していくもの、というイメージを持っています。それが私たちの持っている「家」とか「血筋」といったイメージと重なって、DNAは代々特定の家系に伝わる「秘伝の書」のようなものだと受け取られています。しかし、実際の遺伝子の様式は、両親から半分ずつを受け取るのですから、一子相伝に伝えられるようなものではありませんし、DNAの発現は環境にも影響されて変化するものであることが最近の研究で明らかになっています。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
DNAを交響曲の楽譜に例えれば、もとの楽譜がまったく同じでも、演奏が指揮者や演奏者の解釈によって毎回異なったものになるように、ヒトの体もゲノム情報という楽譜によって体内での反応が進行するものの、その過程でさまざまな環境要因が変化を付け加えるのです。
そもそも生物学的な概念であるDNAや遺伝子を、私たちの社会が持つ概念である血筋や家系のアナロジーで語ることはできません。
※ゲノムとは、ヒトひとりを構成するのに必要な遺伝子の最小限のセットを指す名称
「遺伝子やDNAは、血筋や家系のアナロジーで語れない」つまり「全く似ていない下手なたとえ」ということである。
個人のルーツと日本人の起源
現在の人類の共通祖先を探すと、20万~15万年ほど前のアフリカにたどりつく。
アフリカで誕生した人類はその後、世界中に拡散し地球を覆った。
現在の私にまで繋がる道はどのようなものなのだろうか。
2000年にミトコンドリアDNAの解析によって発表された研究を紹介したい。
世界中の53名のミトコンドリアDNAについて解析したもので、ミトコンドリアDNAの全塩基配列を解析した点で画期的な研究である。
この図から、現在全世界に住んでいる人類集団が大きく4つのグループに分かれることがわかります。人類集団のグループというと、普通はいわゆる人種(白人、黒人、黄色人種)を思い浮かべるのですが、DNA分析が描き出した区分けは、そのような分類とはまったく異なっていました。…中略…世界中の集団をミトコンドリアDNAの変異をカギに分類すると4つに分かれ、そのうち3つまでがアフリカ人のみの集団で、ヨーロッパ人とアジア人と残りのアフリカ人を一緒にして最後のひとつのグループができあがるというのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
この分析のもっとも重要な点は、いくつものアフリカ人の系統が、世界の他の人たちよりも深い分岐を持っているということです。言い換えると、アフリカの人たちは残りの世界中の人たちと比較して、たくさんの突然変異を持っているということになります。…中略…突然変異は時間とともに蓄積していくものですから、多くの変異を持っているということは、彼らが長い歴史を持っているということを示しています。
上の図が示すのは、現代の人類集団に対する分類だけでなく、アフリカから旅立った人々の足跡をたどる重要な情報である。最初にアフリカを出た人々がいたからこそ、今の私はここにいるのである。上の図で水色に塗られている範囲のグループ、L3、M、Nは同時に分岐したようにみえるが、解析した個体数が少ないためよくわかっていないらしい。ただ、アフリカからの拡散は2回あっただろう、と考えられている。
出アフリカを成し遂げた私たちの祖先集団は、世界の各地で、先行してアフリカを出ていたネアンデルタール人やアジアの原人などの子孫と交雑しながら、拡散していったと考えられています。他の高等霊長類からヒトへの第一歩を踏み出したのもアフリカなら、私たちの直接の祖先が生まれたのもアフリカなのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
私たち日本人の祖先をたどる旅は、アフリカに近い地域の記述から始まることになります。日本により近い東アジアは、直接の起源地として詳しく見ていくことが必要で、同時そのことはアジアにおけるヒトの拡散と移動を明らかにすることにつながっていきます。「新人のアフリカ起源説」の枠組みのなかでは、日本人の起源論はアジア集団の移動と拡散の一部分として語られるものとなっているのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
アフリカからどのようなルートをたどって人類が移動し、拡散したのかが重要な論点ということがわかってきた。日本人の起源は、日本列島の範囲だけでなくアジアという地域全体でみることが必要なのだ。
個々の遺伝子がどのように伝わるかを、自分からさかのぼるかたちで考えてみると、個人のルーツを探るのが難しいということがわかります。私たちは両親から半分ずつのDNAを受け取っているのですから、祖父・祖母の世代から受け取るDNAは、各個人について4分の1となります。単純に計算しても20世代もさかのぼるとその数は2の20乗となり、私たちには100万人を超える祖先が存在することになります。これは1世代を25年で計算しても、たかだか500年ほどの話なのです。したがって私たちには、自分に遺伝子を伝えていない莫大な数の祖先が存在しているということになります。個々の遺伝子は世代ごとのシャッフルによってランダムに伝わっていくのですから、今「私」が持っている遺伝子を解析しても、私の祖先すべてについて知ることはできないのです。あくまで集団としてルーツを追求する必要があるのです。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
500年さかのぼると、血のつながりがある人は100万人を超えるのだ。今から500年前は1521年(大永元年)、室町幕府12代将軍の時代である。
ミトコンドリアやY染色体のDNAの系統図は、個人の持つDNA配列の違いに注目して、互いに近いもの同士からつなげていって作り上げます。しかしながら、ミトコンドリアDNAの場合には個体間の変異が多すぎて個人を対象にしていたのではまとまりがつきません。そこで塩基置換の比較的起こりにくい部分の遺伝子の突然変異を分類の基準にしたハプログループという概念を用いて話を進めることにします。この部分だと通常は数万年に1回程度の割合で突然変異が起こりますので、同一のハプログループは、数万年さかのぼると、祖先を共有する人たちの集団ということになります。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
親の持つDNAがそのまま子孫に伝わるものも存在します。それが母から子供に伝わるミトコンドリアのDNAと、男性に継承されるY染色体を構成するDNAなのです。この二つは、少なくとも自分にそれを伝えた系統をさかのぼることができるので、ルーツ探しの道具としてよく使われます。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
ミトコンドリアDNAやY染色体で、自分のDNAを他人と比較すると、違っている部分が多い人や少ない人がいることがわかります。これは私たちの持つDNAが突然変異によって時間とともに変化を蓄積しているためです。祖先をさかのぼっていくと、先に違いの少ない人との共通祖先にたどりつくことになります。こうしていろいろな人同士のDNAを比べることによって、共通の祖先が持っていたタイプから今ある変異がどのような順番で分かれていったかが推定できます。つまり最初に誕生した人類全体の祖先から、今の私たちがどのように分かれてきたのかを知ることができるのです。
突然変異がどの程度の時間的な間隔で起こるのかは、化石の証拠とあわせて考えることによって推定されていますので、それぞれの分岐がいつ頃起こったのかを知ることも可能です。
ミトコンドリアのDNAは構造が比較的単純なので、1980年代から研究が続けられたことで、全世界の人のデータがかなりそろっています。一方、Y染色体のほうは21世紀になって研究が進みました。世界中の人が持っている変異の全貌が明らかになりつつある段階です。
現代の人々のもつ遺伝的な特徴は、過去の集団の移動や集合の総和で成り立っています。現代人のDNAだけ分析していても、その特徴がどのような経緯で形成されてきたのかはわかりません。正確なシナリオを描くためには古代人のDNAを分析することが必要となります。
数万年に1回程度の変異で分類されたハプログループを解明し、現代人のDNAと古代人DNAの解析を行うことにより、日本人の起源は解明されつつある。
日本人のミトコンドリアDNAの組成
研究が進みアジアの各地からやってきた日本人の祖先グループの組成は解明されてきているが、これまで自然人類学の分野では日本人の起源を考えるのに縄文人と弥生人の違いだけを取り上げていることが多かった。しかし、弥生時代の始まりから古墳時代、律令時代までの集団の混合について考えるために必要な古人骨のDNA解析はほぼ行われていない。DNA解析が進み、日本列島で何が起きていたのか解明される日が待ち遠しい。
もう少し時代を経て、鎌倉時代の78個体の日本人と、現代日本人のミトコンドリアDNAの組成を下記に示す。
現代の本土日本人とほぼ同じ値で、ハプログループDの次にBという順序も同じでした。
篠田謙一2019「新版日本人になった祖先たちーDNAが解明する多元的構造ー」NHKブックス
核ゲノムの分析を行っていないので、確定的なことはいえませんが、この結果からは中世人のハプログループ構成は、ほぼ現代の本土日本人と同じであることが示唆されます。
さて現代の科学では、自分がどの祖先グループに属しているのかを調べることができる。
実際に検査をしてみた結果は下記のとおり。
このサービスは、いくつかの企業で実施しているようだ。
我々はDeNAライフサイエンスという企業がやっている遺伝子検査を選んだ。
選んだ理由は価格と、ゲノミーという調べた祖先グループと体質をかけあわせたオリジナルアバターをもらえるから。
下記リンクは、公式HPである。
アマゾンアソシエイトが存在していたので下記にはらせていただくが、公式サイトから購入もできる。
「MYCODE(マイコード) ディスカバリー」体質(体型・肌質 等)の遺伝的傾向や祖先のルーツから知り得なかった自分を発見できるエントリーパッケージ祖先グループを知ることで、妻が夫より寒さに強い理由が理解できた。
コメント