我々はどこから来たのか-最新研究からわかる弥生時代~古墳時代のヤポネシア人のDNAについて

本記事ではヤポネシア人のDNAについて最新の研究成果を整理する。日本人のルーツに興味のある方におすすめしたい。

ヤポネシア人がわからない方は、まず「日本人源流」の記事から読んでね👇

参考にしている研究報告は2021年3月に刊行された国立歴史民俗博物館研究報告第228集PP205 – 471新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2019年度(1)】『考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明』である。

目次

時代や地域ごとに異なる我々の祖先たち

2019 年度にDNA調査が行われた遺跡をGooglemapにプロットした。下記のうち博多遺跡群第203次と栗山遺跡5次は自治体による埋蔵文化財報告書に掲載されるようだ。また、今回の報告は【調査研究活動報告2019年度(1)】であり(2)が刊行され次第、追記補足したいと思う。2019年度のDNA調査で何がわかったのか、研究報告をもとに時代ごとに概要を整理する。

これを読めば最新の研究動向がわかるよ

縄文時代

2019年度調査実施により九州南部初の縄文人のミトコンドリアDNAがわかった。調査結果からM7aというハプログループが出てくる。ハプログループM7について前に書いた記事で参考にした下記の本から復習してみよう。日本人がどのようなミトコンドリアDNAを持っているのか、紹介しているなかから抜粋する。

ハプログループM7
 ハプログループM7にはa,b,cという3つのサブグループが存在します。M7aは主として日本に、M7bは大陸の沿岸から中国南部地域に、そしてM7cは東南アジアの島嶼部に分布の中心があるのです。中央アジアから北東アジアにはほとんど分布していません。この3つの分布の特徴は、その起源地を求めるヒントになりそうです。M7が生まれたのが2万5000年ほど前と計算されています。その時代、氷河期の乾燥化によって海水面は低下していましたから、黄海から東シナ海にかけては広大な陸地が出現していました。おそらくM7の起源地は、今は海底に沈んでいるこの地域だったのでしょう。そこで生まれたサブグループのうち、ハプログループM7aが、日本列島に到達したと考えられます。このハプログループは縄文人からも見つかっており、まさに日本の基層集団の持っていたハプログループなのです。なお、このハプログループは本土の日本人では約7%を占めるだけですが、沖縄に行くと実に4人にひとりが持っています。

篠田謙一 2019「新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造」NHKブックスP1471-P1486
  • 鹿児島県出水貝塚(縄文時代後期)
     出水貝塚人骨は、現状では南九州で出土した最古の人骨だと考えられている。2019年度の調査で3体のDNA解析を行っている。ミトコンドリアDNAの解析結果で3体の持つハプログループはすべてM7al系統であった。

ミトコンドリアDNAグループハプログループM7aは、縄文時代人の主要なハプログループのひとつである。そのため「縄文人的遺伝子型」と認識されている。現代日本人でも本土で7.5%、沖縄本島で26%の頻度で観察されており、本土日本と南西諸島では明確に頻度分布に違いがある。ー(略)ー 出水貝塚人骨の持つM7alaを他の九州と沖縄の縄文から弥生時代のそれとを合わせて系統樹を描いてみると、出水貝塚人骨は南西諸島の集団の系統ではなく、北部九州の縄文人や弥生人が持つ系統に属することが判明した。出水貝塚は鹿児島県北部、熊本県との県境に近い場所に位置しており、北部九州の系統に近いことは不思議ではない。今回の分析で、縄文時代における九州本土と南西諸島の集団の遺伝的な違いがより明確になった。今後、さらに南九州の縄文人のDNAデータを蓄積していけば、九州から沖縄にかけての基層集団の成立の精緻なシナリオを描くことができると考えられる。

篠田謙一ほか「鹿児島県内出土縄文人骨のミトコンドリアDNA分析」
  • 鹿児島県柊原貝塚(縄文時代後期)
     2019年度の調査では、南九州の縄文人の遺伝的な特徴を捉えるため、垂水市の柊原貝塚で発見された縄文時代後期の人骨1体が解析された。柊原貝塚人骨の解析結果もM7ala系統であることがわかったようだ。
  • 鹿児島県トマチン遺跡(縄文時代後期併行期である貝塚時代後期)
     鹿児島県徳之島にあるトマチン遺跡は、奄美大島のほぼ中央に位置する離島にある。古代より沖縄本島と南九州を結ぶ航路の要所であったことが考えられる。トマチン遺跡の解析ではすべてM7ala系統を示すことがわかったが、ミトコンドリアDNAの全配列を完全に読むことができたことによる研究者の考察が興味深い。

 トマチン遺跡の個体は二つの系統に分かれているが、それぞれと同じ系統にはいずれも南西諸島から出土した人骨が含まれており、北部九州の集団とは別の系統に属している。このことから、徳之島の縄文時代相当期の集団は、基本的には南西諸島の集団の一部であったことが推察される。
 M7alaの系統樹から、北部九州集団と南西諸島の集団が分岐したのは、1万年ほど前の縄文時代早期の始めの頃と計算される。ー(略)ー
 出水貝塚の3体は系統的にはトマチン遺跡出土個体とは異なり、北部九州と同じ系統に属している。九州と南西諸島の縄文人の間には、母系の系統に明確な違いがあることは、この地域の縄文人の成立を考える際に、重要な示唆を与える。

篠田謙一ほか「鹿児島県徳之島所在遺跡出土人骨のミトコンドリアDNA分析」
  • 鹿児島県下原洞穴遺跡(縄文時代晩期)
     出土した人骨のミトコンドリアDNAハプログループはM7a系であった。
  • 鹿児島県面縄第一貝塚(縄文時代晩期~弥生時代前期併行期である貝塚時代前期)
     出土した人骨のミトコンドリアDNAハプログループはM7a系であった。

同じM7aというハプログループであっても、さらに詳細をみれば起源や拡散経路が異なることがわかるようだ。今後の研究成果が楽しみである。

弥生時代

次に弥生時代をみていこう。研究代表者である藤尾先生が弥生時代を専門としている研究者であるためか、弥生時代の代表的な遺跡に由来した報告ばかりである。

  • 愛知県朝日遺跡(弥生時代前期)
     10体の人骨を調査したが人骨の状態が悪く解析に成功したのは2体であった。その2体で母系の情報がわかるミトコンドリアDNAを解析し、結果を得た。2体がもつミトコンドリアDNAハプログループはD4glとB4clであった。D4glとB4clはこれまで縄文人からは検出されていないため、基本的には弥生時代以降に大陸からもたらされたと考えられている。現代日本人が持つこれらハプログループの割合いは約3%である。どちらも中部地方で若干比率が高い。
  • 福岡県博多遺跡群(弥生時代中期)
    >福岡市埋蔵文化財調査報告書に掲載予定
  • 福岡県栗山遺跡F区(弥生時代中期)
    >朝倉市報告書に掲載予定
  • 佐賀県大友遺跡(弥生時代早期)
     今までの既存研究、特に形態学的な研究から、西北九州弥生人は縄文人の系統を引く集団であるととらえられてきた。しかし、最近のDNAによる解析によって弥生時代末期の西北九州弥生人は縄文系と渡来系弥生人の双方のDNAを併せ持ち、両系統の混血がかなり進んでいる可能性が示唆された。2019年度の本調査では、弥生時代早期の西北九州弥生人のDNA解析が実施された。結果はミトコンドリアDNAハプログループがM7ala6であり、縄文人に典型的なハプログループであった。また、核DNA解析も実施されており、核DNAも縄文人の範疇におさまり、大陸系集団との混血はみられなかった。これは今までの形態学的な研究と矛盾しない。今回解析を実施した人骨は朝鮮半島由来の支石墓に埋葬されていたため、在来集団が何かしらの理由で朝鮮半島の墓制を取り入れた状況が考察されている。西北九州弥生人でも時期的、地理的に地域差を持ちつつ混血が進んだことも考えられるため、今後の研究が待たれる。
  • 島根県猪目洞窟遺跡(弥生時代中期~古墳時代)
     DNA解析を行った個体の年代は1000年近く幅があり、一番古い個体で弥生時代中期までさかのぼることができた。最も古かった弥生時代中期の個体のミトコンドリアDNAハプログループはM7a系であった。古墳時代まで下る3個体でミトコンドリアDNAが同じハプログループであり、長い期間にわたり母系系統で遺伝的に類似した集団が埋葬されてきたことがわかった。また核DNAを古墳時代と古代の2体の個体で実施し、縄文系と渡来系の混血が進んでいることが確認され、すでに現代日本人へ遺伝的つながりがあることを示唆している。

古墳時代

次に古墳時代をみていこう。

  • 高松茶臼山古墳
     高松茶臼山古墳は古墳時代前期の前方後円墳である。過去の調査によりミトコンドリアDNAハプログループはD4mlが検出されており、母系は大陸からの渡来系集団に由来することがわかっている。2019年度の調査では核DNAが分析されハプログループはClalだった。Y染色体のClalを含むハプログループCは、在来の縄文系に由来するといわれている。茶臼山3という個体番号での解析結果は現代日本人の分布範囲と重なり、かつ統計的に有意に遺伝的に縄文人に近いことがわかった。男系、女系系統でそれぞれ縄文系、渡来系が検出されたことにより、混血後の集団が古墳時代の高松にいたことがわかった。これまでの研究結果から渡来系集団の影響と拡散には地域差があることがわかってきており、今後も分析する個体が増えることにより、日本列島での祖先たちの拡散がよりリアルにわかるようになるだろう。
  • 大阪府野々井二本木山古墳
     大阪府堺市野々井にある古墳である。埋葬者は男女2体で、頭を同じ方向にそろえ埋葬されていた。古墳の築造年代を決定づける資料に乏しいが、棺の形状から古墳時代前期~中期に位置付けられている。男性からサンプリングされた資料では明確な結果が得られなかった。しかし、女性から得られた資料ではミトコンドリアDNAのハプログループはD4glbであることがわかった。
  • 岡山県飯森山東1号墳
    >2019年度活動報告(2)に掲載予定
  • 岡山県勝負砂古墳
    >2019年度活動報告(2)に掲載予定
  • 宮崎県島内地下式横穴墓群
     島内地下式横穴墓群で過去に行われた形態学的な研究では宮崎平野の古墳人や北部九州の弥生人と同じと考えられてきている。今回検出されたミトコンドリアDNAハプログループはM7aとD4aであり、全国的に縄文人から検出されるM7aが確認された。ただし、縄文時代の南西諸島集団の持つ系統とは異なり、九州本土の縄文人系統に属している。今回検出されたD4alcは、これまで分析された縄文人には存在していないため、渡来系集団との混血も示唆された。
  • 種子島広田遺跡
    >2019年度活動報告(2)に掲載予定

韓国三国時代

  • 韓国高霊池山洞44号墳
     池山洞44号墳は5世紀の大加耶の王墓である。ミトコンドリアDNAの塩基配列から推定されたハプログループはそれぞれD5blblとB5a2albが検出された。これらのハプログループを持つ現代人を探すと、データベース上にはどちらのハプログループも3体ずつ登録されていたが、いずれも日本人だった。これらのハプログループが現代日本人に占める割合はさほど多くなく、東アジアでの分布をみると南の地域に多い傾向があるようだ。古代DNAで同じハプログループであるD5とB5が確認されているのは、弥生時代後期の鳥取県青谷上寺地遺跡である。また、弥生時代中期の渡来系弥生人である福岡県安徳台遺跡の人骨もハプログループB5を持っていた。

「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」の研究プロジェクトについて

本記事で書いてきた内容は2021年3月に刊行された国立歴史民俗博物館研究報告第228集PP205 – 471新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2019年度(1)】『考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明』を主に参照している。

計画研究B01とは、2018年に採択された「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」の研究プロジェクト内にある研究チームである。研究チームはゲノム班、考古班、語学班、データ解析班など分野によって分かれている。研究プロジェクトの詳細は下記公式ホームページを参照されたい。

科学研究費助成事業とはなに?

科学研究費助成事業を語る際に最も大事な組織は文部科学省所管の独立行政法人日本学術振興会である。独立行政法人日本学術振興会は通称「学振」と呼ばれており、昭和天皇の御下賜金により発足した組織だ。

詳細は下記公式ホームぺージをご確認いただきたい。

日本学術振興会ホームページより

学振を通して科研費(科学研究費)は競争的研究資金として交付されている。つまり、審査により交付先を決めているということである。研究種目は下記の通りいくつもあり、今回紹介している研究成果は科研費の助成により進められているものである。

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研究種目補助金・基金の別
特別推進研究
Grant-in-Aid for Specially Promoted Research
補助金
新学術領域研究
(研究領域提案型)

Grant-in-Aid for Scientific Research on Innovative Areas
補助金
学術変革領域研究
Grant-in-Aid for Transformative Research Areas
補助金
基盤研究(S)
Grant-in-Aid for Scientific Research(S)
補助金
基盤研究(A・B・C)
Grant-in-Aid for Scientific Research(A)/(B)/(C)
(A)(B)補助金
(C)基金
挑戦的研究(開拓・萌芽)
Grant-in-Aid for Challenging Research (Pioneering)/(Exploratory)
基金
若手研究
Grant-in-Aid for Early-Career Scientists
基金
研究活動スタート支援
Grant-in-Aid for Research Activity Start-up
基金
奨励研究
Grant-in-Aid for Encouragement of Scientists
補助金
各研究種目のリンク先は学振HP

まとめ ー2019年にわかったこと

 渡来系集団の影響と拡散には地域差があることがわかった。この傾向はすでに形態学的研究で指摘されてきた。

「弥生時代には少なくとも東海地域から関東西部の太平洋側地域,さらには長野県にいたる中部山岳地域にも渡来人が来ていたことが明らかである。また,渡来系と判別された個体のほとんどが方形周溝墓から出土しており,土着系と判別された個体は土墳墓から出土した例が多い。埋葬様式と被葬者の系譜に関連性があるのかもしれない。またサンプル数が少ないので確かなことは言えないが,この時代では,土着の人々と渡来系の人々が住み分けていた可能性も考えられる。」

松村2003_国立歴史民俗博物館研究報告第107集P200-215

最新の古代DNAによる研究は形態学的研究を裏付け、さらに詳細な解像度で渡来系弥生人の拡散の様子を描いていた。今後の研究も期待したい。

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