『魏志倭人伝』は真実を伝えているのか-謎に迫る-

魏志倭人伝は邪馬台国が日本のどこにあったのか、未だに論争している所以となった文献である。本記事では魏志倭人伝がどのような背景を持つのか調べてみた。今回参考にした書籍は2冊。著者は中国古代史や儒教など中国思想が専門の研究者である。

では、早速はじめよう。

目次

中国の歴史書「三国志」と魏志倭人伝

魏志倭人伝中国の西晋の時代(265~316年)に書かれた「三国志」という歴史書の一部である。ここでいう「三国志」は、有名な歴史小説の「三国志演義」とは異なり、正史のことである。正史は皇帝の正当性を示すために書かれる歴史書である。三国志の時代では歴史書の名前のとおり、魏・呉・蜀という三つの国にそれぞれ三人の皇帝がいた。三国志も魏書、呉書、蜀書と三部構成になっている。のちの時代で三国志の魏書は北魏(386~534年)の正史「魏書」と区別するため、「魏志」と呼ばれるようになった。しかし、三国志では魏書にのみ本紀(皇帝の年代記)を設けることにより、魏の皇帝に正当性があることを伝えている。さらに魏書にのみ夷狄( いてき:野蛮な異民族) の列伝(臣下の伝記)が書かれている。

 西晋(265~316年)の歴史家である陳寿の著した『三国志』は、歴史小説の『三国志演義』と分けるために「正史」と呼ばれることが多い。しかし、『三国志』は、書かれた当初から正史であったわけではない。『史記』から始まる紀伝体の史書を、国家の正統性を示す史書として「正史」と呼ぶことは、唐(618~907年)から始まる。本紀(皇帝の年代記)と列伝(臣下の伝記)から成る紀伝体は、中国に複数の皇帝(世界の支配者、本来は一人しか存在できない)が濫立したとき、誰を本紀に記すのかにより、正統を表現する。陳寿は、魏書三十巻・蜀書十五巻・呉書二十巻という三部構成で『三国志』を著しながらも、魏書にのみ本紀を設けた。それにより、曹操が基礎を築き、曹丕が建国した曹魏(220~265年、中国の北半分を支配)の正統を示すためである。蜀漢(221~263年、中国の西南を支配)を建国した劉備も、孫呉(229~280年、中国の東南を支配)を建国した孫権も列伝に記し、形式的には曹魏の臣下として扱っている。
 これは、歴史事実とは異なる。劉備も孫権も皇帝に即位しているからである。「正史」は、正しい史実を記録することで「正史」と呼ばれるわけではない。歴史事実と異なる記録をしてまで、正統を示す史書である「正史」には偏向(記述の歪み)が含まれるのである。

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

 独立性の高い魏書・蜀書・呉書から成る『三国志』であるが、それでも皇帝が世界を支配するという価値観を表現するための夷狄(野蛮な異民族)の列伝は、魏書にのみ附された。儒教において、中華の天子の徳は、それを慕って朝貢する夷狄の存在によって証明されるためである。朝貢とは、夷狄の君主が、中華の文徳に教化されて臣下とんり、貢物を捧げ世界の支配者である中華の皇帝のもと、地域を支配する国王として封建されるために使者を派遣することである。
 ー略ー
 曹魏の中華としての正統を示すために設けられた夷狄の列伝、それが『三国志』唯一の夷狄伝、巻三十烏桓・鮮卑・東夷伝である。したがって、曹魏に朝貢した倭人の記録は、反抗的な民族も多かった東夷伝のなかで、曹魏の正統性ならびにそれを継承する西晋の正統性を表現するため、政治的意図を含んだ記述となるのである。

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

『三国志』が書かれた背景、執筆者の意図がつかめてきただろうか。三国志の著者は魏を受け継ぐ晋という国に仕えていたため、魏と晋の正統性を正史にこめたということである。『三国志』がどのような政治的背景をもって書かれたのかを知ることは、偏向がとらえやすくなるはずである。しかし、歴史家といえど変えてはいけない内容があるらしい。それはどのような部分だろうか。

先行する史書に加えて、陳寿は西晋の史官として、国家が保管する皇帝の制・詔(命令書)や臣下の上奏文を見ることができた。そのなかでも制・詔は、陳寿のみならず、中国歴代の史官が原則として手を加えないものであるため、当時の史料がそのまま記録される。倭人伝のなかで、卑弥呼を親魏倭王とする制書(夷狄の王などを任命するための天子の命令書)の信頼性が高い理由である。

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

魏志倭人伝が書かれた背景

魏志倭人伝には事実と理念が混在している。それは魏とその後の晋の正統性を証明するために書かれている史書の一部だからである。正統性を証明する材料のひとつが、倭という国から慕われている必要があるのだ。はるばる遠くの倭から貢物を届けるために使者が来る設定は必要なのだ。

参考文献の内容から3世紀ころの東アジア地図と年表を作成

親魏倭王の重要性

三国志が表現する「親魏◎◎王」は、ふたつしかない。倭と大月氏である。上の地図をみてほしい。大月氏は中央アジアに位置しているクシャーナ朝のことである。三国志に記載されていないが、他国にも魏は王号を与えていた。しかし、三国志では倭と大月氏を対比させて書くことで両国の重要性や力量を同等のものとし記載している。これは蜀と呉の背後に存在している2つの大国、大月氏と倭から慕われていることを記すことが重要だったのだ。

 孫呉との関係上、そこになければならない国際関係があった。加えて司馬懿の功績を尊重するという国内政治上における倭国の重要性が、倭人伝の執筆者たちの表現を規定していたのである。

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

理念としての魏志倭人伝

魏の正統性を証明するために書かれた理念としての倭とはどのようなものだろうか。

 中国は、自らの世界(天下)の大きさを、儒教経典の解釈により定めていた。それは、方三千里(約千三百二キロメートル)から方一万里へ、漢民族だけの「九州(中国)」から、異民族を含む「天下(世界)」へと変化していく。ー略ー
 前漢の武帝期に中国の支配が、朝鮮やヴェトナムといった夷狄の地に及ぶにつれて、「九州(中国)」の概念は拡大した。中国が夷狄をも支配できる「天下」という理念を完成した者は、前漢を簒奪した王莽である。王莽は、中国が夷狄を支配することの正統性を構築するために、世界観に『春秋公羊伝』を組み合わせる。日本でも幕末に流行した厳しい攘夷思想を持つ経典である。ー略ー『春秋公羊伝』は、攘夷思想を背景に、夷狄の居住地までをも「天下」に含め、それを「大一統」すべきという理想を説く。ー略ー
 夷狄が貢献に来るのは、中華の徳を慕ってのことであるから、なるべく遠くから多くの民族が頻繁に来ることが理想である。東夷伝、ひいては倭人伝執筆の最大の目的が、この理念の証明にあることは、邪馬台国の位置を考える時に、最も重要な認識となる。

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

倭はその距離や方角が「理念」である、と参考書籍は主張している。では、距離や方角から当時の倭国内の様子をうかがうことはできないのではないだろうか。やはり、それらは考古学の成果を待つしかほかにあるまい。

事実としての魏志倭人伝

本記事の冒頭でも述べたが、皇帝の制書は改ざんすることは考えられないらしい。そうなると制書の部分を知ることは、当時の倭の様子に近いと考えてもよさそうである。

 皇帝曹芳の制書が史官により変更される可能性は、ほとんどない。中国の史書は、皇帝の命令書を改竄しないことが原則だからである。この制書で注目すべきは、回賜の品目を掲げた後に、多くの財物を選んで賜与するという特別な恩恵を加えていることである。倭国への好意は、『三国志』を起源とするのではなく、卑弥呼の使者が洛陽を訪れた時に出された制書にまで遡る。親魏倭王の卑弥呼は、鏡を特注して優遇すべきほど、そして親魏大月氏王に匹敵する、曹魏にとって特別な存在であった。
 「往来する使者」も、事実の記載と考えてよい。ー略ー
 「倭国の乱を見届ける」も、使者の報告などに基づく、事実の記載と考えられる。
 

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

先進的な徴税制度とそれを蓄える倉庫、市を監督する官僚や刺史に似た監察官が置かれていた、との記述がある。
 ー租と賦を収納するために、邸閣[倉庫]がある。国々には市があり、有無を交易し、大倭にこれを監督させている。女王国[邪馬台国]より北には、特別に一人の大率を置き、諸国を監察させている。諸国は大率を畏れ憚っている。(大率は)常に伊都国を治所とし、倭国の内で(の権限は中国の)刺史のようである。女王が使者を派遣して京都(洛陽)・帯方郡・諸韓国に至らせるとき、および帯方郡が倭国に使者を送るときにも、みな(大率が)津で臨検して確認し、伝送する文書と、下賜された品物を、女王に届ける際に、間違えることのないようにさせる。ー

渡邉義浩. 魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) . 中央公論新社. Kindle 版.

倭国の事実を記録している部分は、当時の倭国の様子が記録された貴重な資料である。

まとめ

本記事で伝えたかったことは「魏志倭人伝は日本のために書かれていない」。それは魏と晋の正統性を証明するために書かれている史書の一部であることを忘れてはならない。魏志倭人伝は著者の観念的叙述と報告や制書などの事実が混在している。観念なのか事実なのか見極めるには、中国史を専門とする研究者の視座は重要だと感じた。古代の日本を知るために、今後も中国史や韓国史を学んでいきたい。

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