日本人にとって神とは何かー「神道-SHINTO-The way of the Gods」を読んでー

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イギリス外交官として幕末から明治にかけて日本に二十数年滞在したウィリアム・G・アストン著作、日本に固有の民俗的信仰の体系である「神道」を、当時の貴重な資料や伝承・儀礼・風俗などにもとづいて、比較宗教学的方法で精緻に記述した名著「神道-SHINTO-The way of the Gods」を読んだので紹介したい。

有史前の神道
日本民族の主要な要素はおそらく、何世紀にもわたって続いた移住によって中国北部にあるアジアの一地方から朝鮮を経て日本にやってきたということに、民族学者の意見は一致している。日本民族の祖先が彼らの大陸の故郷から、宗教信仰のどんな未発達な形態をたずさえてきたかを思弁しても無駄である。太陽崇拝は長らくタタール(韃靼)人の宗教の中心的な特徴だったが、神道でもそうである。しかしこのような符号があっても、なんの証拠にもならない。というのは、このような崇拝は、文明の未開な段階の民族では普遍的にみられるからだ。
五世紀の初めまで、日本では実際書くことは知られていなかった。しかし莫大な神話が、整然とした祭儀とともにすでに存在し、中臣と忌部ーミカドの宮廷に所属していた二つの世襲的な神官協同組織ーによって世代から世代へと伝えられた。カタリベ、つまり暗誦者の団体もあった。これは、諸国、特に神道崇拝の古代の中心地、出雲に設置された。彼らのことは『日本紀』の四六五年〔雄略天皇九年三月〕の項にのっているが、一五世紀にもまだ存在していた。残念なことに、われわれは彼らが首都で仕え、ミカドの即位式のさい「古いことば」の吟誦をしたということ以上はほとんど知らない。
『古事記』
これらの物語の最古のものは、『古事記』、すなわち「古い事件の記録」という表題の作品である。イギリスの読者は一八八二年の『日本アジア協会誌』にチェンバレンが寄稿した正確な翻訳でこの著作を研究することができる。
『日本紀』(『日本書紀』)
すなわち「日本の記録」の神話的な物語も公的な編纂(七二〇年)であるが、『古事記』に乗っているほど多くない。それは、中国語(漢文)で書かれているので不利な立場にあるが非常に興味深い一つの特徴がある。すなわち、著者か、あるいはほぼ同時代のある執筆者が、本文に、広く流布している神話の異文を多数つけ加えたのである。それゆえ『古事記』か『日本紀』だけを通読すると画一的だとか一貫しているという印象を受けるが、異文を読むとこういった印象を訂正することができる。これらの補遺から、当時しばしば折り合いがつかなかった神話の資料がたくさんあったことや、これらの仕事はこれらの資料を調和させようという試みであったことがわかる。
『旧事紀』
日本の神話的伝承に関する第三の情報源は『旧事紀』(『先代旧事本紀』)である。この名前のついた著作は六二〇年、すなわち『日本紀』の一〇〇年前に編纂された。しかし現在この表題がついている著書は、現地(日本)の批評家からは偽書として非難されている。しかしこの主張はまったく納得できない。われわれはそれを『古事記』や『日本紀』と同じ権威があるものとして暫定的に受け入れてよい。『旧事紀』は後者と違って、首尾一貫させようと試みていない。それは神話的資料の単なるごたまぜで、同一の物語のあきらかに矛盾した異文をしばしば非常にぎこちなくつなぎあわせたものである。これはこれまでに翻訳されていない。
『出雲風土記』
この作品は出雲地方の地誌で、七三三年ころに編纂された。これには二、三の神話的なくだりが含まれている。
『古語拾遺』
これは八〇七年に書かれた。この本は『古事記』や『日本紀』に含まれた情報になにもつけ加えてくれない。
『姓氏録』
日本の貴族階級の名簿の一種であるこの著書(八一五年)では、日本の貴族の家の多くの子孫が、神道のパンテオンから跡づけられている。
『延喜式』
神道の儀式の主要な情報源は、『延喜式』、すなわち「延喜時代(九〇一-九二三年)の規則」である。それは当時行われていた公的な神道の祭儀のくわしい記述と、礼拝で用いられた二七の主要な祈祷文を教えてくれる。祝詞と呼ばれたこれらの祈祷文は、われわれが知っている限りでは、そのとき初めて文に書かれたが、そのうちの多くは実質的にはそれより数百年前のものであるに違いない。そのうちのいくつかは、アーネスト・サトウ卿によって翻訳され、『日本アジア協会誌』(一八七九-八一年)にのった。またカール・フローレンツ博士によって、そのシリーズが現在刊行中である。博士の「オホハラヒ」(大祓)の翻訳(一八九九年)は、神道を研究するイギリスの読者の財産に貴重なものをつけくわえてくれる。
本居と平田
現地の学者本居、平田、および一八世紀後半と一九世紀前半の他の学者の著書は不可欠の情報源である。この大部の文献のどんな部分も、翻訳されなかったし、翻訳されないらしい。イギリスの読者はアーネスト・サトウ卿が一八七五年(明治八年)の『日本アジア協会誌』に寄稿した「純粋神道の復興」のなかに、それについてのすぐれた説明を見出すだろう。『純粋神道』というのは、後世仏教徒の影響を受けて生じたこの宗教の堕落した形態に対立するもので、『古事記』『日本紀』及び『延喜式』の神道のことである。

以上の諸著作には、古神道を研究する上のかなりたくさんの資料が含まれている。それらは、日本人自身が見た通りにこの宗教をわれわれに示すという利点をもっている。現代ヨーロッパ人やキリスト教徒の観念を未発達な他の崇拝を説明するために無意識的に持ち込むとよく誤りを犯すが、このような資料を使えば、誤りが入り込む余地がなくなる

神道(新装版)1992 著者W.G.アストン/訳者安田一郎 青土社

先代旧事本紀とは?
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 ミタマということばの語源を吟味することは、やりがいがあるだろう。ミは、敬称の接頭語にすぎない。タマは、タブ、すなわち与えるという動詞の語根を含んでいる。そしてタブは、タマフという長い形で使われることが多い。タマは、タマモノ、つまり贈物と[オ]トシダマ、つまり新年のプレゼント、のなかにその本来の意味を保っている。つぎにタマは、宝石のようになにか価値あるものという意味だ。それから、宝石は形がたいてい丸いから、丸い物を意味するようになった。それと同時に、その貴重な性質のために、それは、社に住んでいる神から聖なる放射物や、もっとも貴重な物、つまり人間の生命や魂までを象徴的に示すのに使われるようになった。
 タマの意味は、つぎの物語から明らかになる。これは、『日本紀』のなかにのっているもので、出雲神話の造物主あるいは宇宙の神、オホナモチ[オホクニヌシ]についての話である。

 彼はついに出雲の国にやって来て言った。「この葦原の中つ国は、いつも荒れ果てて、荒涼としていたし、岩、木、草はすべて狂暴でありがちだった。しかし私は今はそれらを征服した。それで服従しないものはなにもない」と。彼は最後に言った。「今この国を支配するのは私だ、私だけだ。私と一緒にこの世界を支配できる者は、果たしているだろうか」と。このとき、聖なる光が海を照らし、突然彼のほうに浮いてくるものがあった。それは言った。「もし私がここにいないなら、どうしておまえはこの国を征服できたろうか。おまえがこの大きな仕事を遂行できたのは、私がいたためなのだ」と。「おまえはだれだ」とオホナモチが尋ねた。それは答えて言った。「私は、おまえの幸運の霊(タマ)、不思議な霊〔幸魂さきみたま・奇魂くしたま)だ」と。そこでオホナモチは言った。「たしかに、私はおまえが、私の幸運の霊(タマ)、不思議な霊であることがわかった。おまえは今どこに住みたいのか」と。霊は答えて言った。「私は大和の国の三諸の山に住みたい」と。そこで彼はそこに社を建て、霊をそこに行かせて、住まわせた。これが、オホミワの神である。

この抜粋では、神と彼の霊的分身ははっきり区別されているが、この区別は無視されることが多く、ミワの神は単にオホナモチと言われている。この神の霊的性格に関する、同じような不確実性は、オホクニヌシ(大きな国の主人)とオホクニダマ(大きな国の霊)という彼の名前にあらわれているし、彼について述べている『古事記』のなかの伝説のなかにもあらわれている。すなわち、彼は人間の女によって子供をもてる肉体を具えているが、なお、また鍵の孔を通り抜けられるほど霊的である。
『出雲風土記』のなかで、スサノヲは、須佐の村[飯石郡]を、自分のミタマが住む場所、すなわち自分に一つの社が寄進された所だと言っている。『日本紀』には、イザナミのミタマは熊野で音楽と花の供え物を供えて礼拝されたと書いてある。現代の本では、ヒノミタマ(日の霊)は日の女神ではなくて、下級の別個の神である。

神道(新装版)1992 著者W.G.アストン/訳者安田一郎 青土社

オホナモチという名前はわれわれになにも教えてくれない。それは、偉大な名前の所有者ということで、敬称にすぎない。これに代わるタイトルは、オホクニヌシ、すなわち偉大な国の主人である。クニヌシというのは「キング」にあたる尊称であろう。この神のもう一つの別名、オホクニダマ(大きな国の魂)はもっと重要である。それは、彼が、先に述べたクニダマ、すなわち大地の神々の一人とみられていたことを示している。大地の神という彼の性質は、オホトコヌシ(大きな場所の主人)という別名からもわかる。
この神は出雲グループの神話に属している。彼は、スサノヲの息子である。オホクニヌシ崇拝の大きな中心であり、伊勢についで日本でいちばん神聖な場所は、出雲の一つの町杵築きづきである。タケミカヅチとフツヌシによって彼が免職される物語は、おそらく現実の歴史的事件の反映だろう。すなわち、出雲の支配者たちは自分たちの世俗の権力を大和の征服者たちに譲り渡さざるを得なかったが、霊的な事柄についての支配力は依然持っていたのである。
大和の三輪[大神神社、また三輪明神、大和の国一の宮]は、この神の崇拝のもう一つの所在地である。もっと正確に言うと、ここで崇拝されているのは、彼のニギタマ、つまりやさしい魂であった。彼はまた山王、あるいはヒエ[日吉、日枝]とよばれる多数の神社と結びついている。宮中の社に祀られているソノノカミ(庭の神)[園の神]も、オホモノヌシ、すなわちオホナモチのニギタマと信じられている。彼はスクナビコナとともに、東京の神田の住民に特別の好意を示している神として(エドッコノミタマノカミ)、そこで祀られている[神田神社、神田明神]。これら二人の神は、天然痘を防ぐといわれている。

神道(新装版)1992 著者W.G.アストン/訳者安田一郎 青土社

古い神話は地震についてはなにも言っていない。『日本紀』の歴史の部には、地震のことが数回出てくるが、地震の神に触れているのは一回だけだ。すなわち六八四年に大きな地震があり、伊豆に新しい島ができた。太鼓のような音が聞こえたが、それは島をつくるさいに神が鳴らしたものと考えられた。『日本紀』の続きである『続日本紀』によると、聖武の治世(七二四-七四八年)には、全国に地震の神の社があったという。しかしどんな神も地震を起こす。鹿島の神(タケミカヅチ)が、地震の神ーこの神には特別の名前がないーの上にカナメイシ[要石]、すなわち中心になる石を置いて、地震の神を封じこめたという伝説がある。そしてこの石は、地震の神の社の近くで今なお見ることができる。日本のように地震がよくある国でこの神が割と重要視されていないことは、迷信を助長する上に地震の神が重要だというバックルの有名な説に対する教訓的な註釈になる。

神道(新装版)1992 著者W.G.アストン/訳者安田一郎 青土社

神については上記にくわえ、日の女神、ヤタカガミ、ヤタガラス、スサノヲ、ツキヨミ、星の神、アメノミナカヌシ、大地の神々、オホナモチ、アスハ、その他の大地の神々、山の神、山の類の神、海の神、川の神、雨の神、井戸の神、水の神、風の神、タケミカヅチとフツヌシ、イカヅチ、他の火の神、かまどの神、ウケモチ(食物の神)、イナリ(稲荷)、収穫の神、木の神、ククノチ、カヤヌヒメ、コダマ、家の神、厠の神、門の神、イザナギ・イザナミ、ムスビ、クニトコタチ、タケミナカタ、ハチマン、テンマングウ、͡コヤネ、フトダマ、イシコリドメ、トヨタマ、コトシロヌシ、スクナビコナ、サヘノカミ、オニ、を解説している。

幕末から明治にかけて日本の神道を見つめた記録。外からの視点による記述は興味深いものである。
最後に今回紹介した書籍の目次を列挙する。

  1. 第1章 神道研究の資料
  2. 第2章 一般的特徴ー人格化
  3. 第3章 一般的特徴ー人間の神格化
  4. 第4章 一般的特徴ー神の機能
  5. 第5章 神話
  6. 第6章 神話的な物語
  7. 第7章 パンテオンー自然神
  8. 第8章 パンテオンー人間神
  9. 第9章 聖職
  10. 第10章 礼拝
  11. 第11章 道徳、法、清浄
  12. 第12章 儀式
  13. 第13章 呪術、占い、霊感
  14. 第14章 神道の凋落、その現代の分派
  15. 付録 『日本紀』について

興味深い書籍だが、すでに絶版となっており手に入れるのは難しく私も古書店で手に入れた。
また折をみて追記していきたい。


アストンについては下記書籍が詳しいようだ。

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