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撤退ではなく、関係の再編へー土地の記憶と空間情報技術から考える農村と社会インフラの未来

人口減少と高齢化が進むなかで、すべての集落やインフラを、これまでと同じ形で維持することは難しい。撤退や集約の議論から目をそらすことはできない。

けれど、人口密度や維持費だけで土地の未来を決めてよいのだろうか。

撤退によって、何の関係が切れるのか。
どの関係は、別の形でつなぎなおせるのか。

この記事では、農村と社会インフラの再編には「土地の履歴評価」を導入することを提案する。人口の地図に、土地の記憶の地図を重ねること。空間情報技術を、効率化だけでなく、土地と人の関係を未来の意思決定につなぐために使うこと。

必要なのは、撤退か維持かという二択ではない。撤退ではなく、関係の再編である。

目次

消えなかった問い

ずっと、この問いを追っている。

人間の暮らしを支えるために、私たちは土地を、どう変えてよいのか。
そして、変えるときに何を見落としてはいけないのか。

この問いを持ったのは17歳のころだったと思う。

10代のころ、私は高専で土木工学を学んでいた。高専とは、中学校を卒業したあとに入学し、専門分野を5年間かけて学ぶ学校である。私が所属していたのは測量の研究室だった。

橋が好きだった。川を越え、谷を越え、人と場所をつなぐ構造物に惹かれていた。河川測量も好きだった。川の流れや河床の形、堤防や周囲の地形を測ることは、水と土地の関係を読むことでもあった。

武田信玄の治水にも惹かれた。信玄堤や聖牛のように、川をただ抑えこむのではなく、水の勢いを分け、弱め、受け流しながら暮らしを守る技術。私が惹かれていたのは、自然を制圧する土木ではなく、自然の力を読みながら人の暮らしを守る土木技術だったのだと思う。

その後、測量の仕事で山を歩き、地表面を地図にした。現場では沢であり、斜面であり、道であり、人が暮らした場所だった。ダム湖に沈んだ集落を測量で知ったこともあった。ダムは人の命を守る。洪水を調節し、水を供給し、電気を生む。社会に必要なインフラであることは間違いない。

けれど同時に、そこにあった暮らしや地名や墓や信仰や記憶を、水の下に沈めることもあったのだ。

インフラは人を支える。
けれど、土地の記憶を書き換えることもある。
そのことを、知識ではなく現場で知った。

やがて私は、日本の農村がこれからどうなっていくのかという問題に関心を持つようになった。人口減少と高齢化が進むなかで、すべての集落やインフラを、これまでと同じ形で維持することは難しい。その現実はわかる。

それでも、人口密度だけで土地の未来を決めてよいのだろうか、という違和感が残った。その違和感を、ただの感覚で終わらせたくなかった。

28歳のとき、私は千葉大学に社会人枠で入学した。学部一年生から学びなおし、植生史を専門とする教員の研究室に顔を出すようになった。

そこで科研費で雇っていただきながら、遺跡出土大型植物遺体データベースの作成にかかわった。

大型植物遺体とは、遺跡から出土する種子、果実、炭化した植物片などである。それらは、過去の人びとが何を食べ、何を育て、何を採集し、どのような環境を利用して暮らしていたのかを示す手がかりになる。

それは単なる昔の植物リストではなかった。土地と人間の長期的な関係を読むための記録だった。

大学を出たあとも、その問いは続いた。データベースを完成させるため、博物館で非常勤として働いた。そこでは私は自然史だけでなく、人の文化史や民俗学に触れることになった。

植物や地形や環境だけではない。人びとがそれらをどう使い、どう名づけ、どう祀り、どう暮らしのなかに組みこんできたのか。

日本人は自然と対立してきただけではない。使い、恐れ、祀り、手入れしながら、長い時間をかけて関係を結んできたのだと知った。

その後、別の博物館で世界各地の標本資料に関わる仕事をした。道具、衣服、器、住まい、信仰具、生活の品々。それらは、それぞれの土地の自然条件と、人間の工夫の関係を映していた。

2018年6月、大阪北部地震を経験した。当時働いていた博物館も甚大な被害をうけ、その立て直しにかかわった。資料を守ること、建物を守ること、人が働く場所をとりもどすこと。そこでもまた、文化とインフラは切り離せないものだと感じた。

その後、私はまた地図をつくっている。

けれど、その地図に重ねたいものは、道路や建物や地形だけではない。そこにあった暮らし、植物、信仰、災害、手入れ、喪失、記憶。人がその土地と結んできた関係性である。

この問いは、いまも消えていない。

すべてを残せない時代が迫っている

人口減少と高齢化が進むなかで、すべての集落やインフラを、これまでと同じ形で維持することは難しい。

これは感覚的な話ではない。

国土交通省所管分野の社会資本について、維持管理・更新費はすでに大きな課題になっている。国土交通省の推計では、2018年度に約5.2兆円だった維持管理・更新費が、2048年度には、予防保全を基本とする場合で最大約6.5兆円、事後保全を基本とする場合で最大12.3兆円になるとされている。予防保全に移行しても、今後30年間で約190兆円がひつようになるという推計も示されている。

老朽化も進む。国土交通省は、高度成長期以降に整備された道路橋、トンネル、河川、上下水道、港湾などについて、建設後50年以上経過する施設の割合が加速度的に高まると示している。道路橋は2023年3月時点の約37%から2040年3月には約75%へ、河川管理施設は約20%から約65%へ、水道管路は約9%から約41%へ、下水道管渠は約7%から約34%へ上がる見込みである。

農村部に関わるインフラも例外ではない。農業水利施設は、農地を支えるだけでなく、地域の水管理や景観、防災ともかかわってきた。農林水産省の資料では、基幹的農業水利施設のうち標準耐用年数を経過している施設は全体の54%、基幹的水路では48%に及ぶとされている。

電力グリッドでも、更新と担い手の問題は避けられない。経済産業省の審議会資料では、1970年代に建設された多くの送配電設備が更新時期を迎え、今後、更新工事の物量増加が見込まれるとされている。同じ資料では、生産年齢人口が2050年に2021年比で29.2%減る見込みであることも示されている。

だから、撤退や集約という議論そのものを、私は否定しない。

すべてを残すことはできない。
すべてを元に戻すこともできない。
すべてを同じ水準で維持することもできない。

その現実から目をそらすべきではないと思う。

十数年前、「撤退の農村計画」という書籍があった。私はその著者に会いに行き、これからの農村をどう考えればよいか相談したことがあった。

そのとき聞いたのは、日本をメッシュに切り、人口密度などの定量的な土地利用をもとに地域の維持や撤退を考えるという発想だった。

人口密度は、重要な指標である。
そこに何人が暮らしているのか。道路や水道を維持するために、一人あたりどれほどの負担が生じるのか。医療や買い物や公共交通に、どれほどアクセスしづらくなるのか。

そうしたことを見ずに、地域の未来を考えることはできない。

けれど、その発想には、どうしても違和感を覚えた。
人口密度は、いまそこに何人が住んでいるかを示す。しかし、その土地が何を支えてきたのかまでは示さない。

問題は、撤退するかしないかだけではない。
撤退するときに、何を見るのかである。

そこから人が離れるとき、何の関係が切れるのか。
どの関係は、別の形でつなぎなおせるのか。
私の違和感はそこにあった。

撤退によって、何の関係が切れるのか

撤退を考えるとき、私たちはまず人口を見る。
維持費を見る。
道路や水道の長さを見る。
公共交通や医療、買い物へのアクセスを見る。

それは必要なことである。
数字を見ずに、地域の未来を考えることはできない。

けれど、それだけでは見えないものがある。

撤退によって、何の関係が切れるのか。

たとえば、人と水の関係がある。
どの沢の水を使い、どの用水が田を潤し、どの川の氾濫を記憶してきたのか。水は、生活のための資源であると同時に、土地の形や集落の位置、農地のあり方を決めてきた。

そして、水の関係は一つの集落の中だけで完結しない。

熊本地域では、水田や農地の地下水涵養が都市の水利用と結びついていることが知られている。熊本市の資料では、熊本地域の地下水かん養量の約3分の1を水田が担い、特に白川中流域の水田は高いかん養能力を持つとされている。

つまり、人口密度だけで見れば低密度な農村であっても、その農地が都市の水を支えている場合がある。撤退によって切れるのは、集落だけではなく、水循環を通じた地域間の関係かもしれない。

もちろん、すべての地域で同じ関係が成り立つわけではない。地下水や水循環の構造は、地形、地質、土地利用、水利用の歴史によって異なる。だからこそ、地域ごとに、水田、森林、河川、地下水、都市利用の関係を調べる必要がある。

人と山の関係もある。
薪をとり、炭を焼き、落ち葉を集め、斜面を手入れし、獣と距離をとりながら暮らしてきた関係である。人が山に入らなくなると、道が消え、水路が詰まり、獣の動きが変わり、災害の兆候に気づく目も減っていく。

人と農地や植物の関係もある。
毎年耕されてきた田畑、畦、ため池、水路。食べる植物、育てる植物、採集する植物、祀る植物。遺跡から出土する種子や果実、炭化した植物片は、その関係が長い時間をかけて続いてきたことを教えてくれる。

人と記憶の場所との関係もある。
道、地名、墓、祠、神社、祭り、災害の記録。常住人口としては数えられなくなっても、盆や正月に帰る場所、墓参りに行く場所、祖父母の家があった場所がある。

撤退とは、単に住民票が減ることではない。
公共施設を閉じることだけでもない。
道路や水道の維持水準を下げることだけでもない。

土地と人間の関係網が、ほどけていくことである。

もちろん、すべての関係をそのまま残すことはできない。
人の暮らし方が変われば、土地との関係も変わる。
集落のかたちが変わり、農業の担い手が変わり、山の利用が変わり、信仰や祭りのかたちが変わることもある。

それでも切れる関係を見ないまま、撤退を決めてしまえば、つなぎなおせたはずの関係まで失ってしまうかもしれない。

だから必要なのは、撤退を感情的に否定することではない。撤退の解像度を上げることである。

人口密度や維持費の地図は、どこが維持困難かを教えてくれる。
しかし、それだけでは、そこから人が離れるときに何の関係が切れるのかまでは見えにくい。

撤退を考えるなら、まず「何の関係が切れるのか」を見なければならない。
そして、その関係のうち、どれを別の形でつなぎ直せるのかを考えなければならない。

そのために必要なのが、土地と人間の関係の履歴を読むことである。
私はそれを「土地の履歴評価」と呼びたい。

偶然の気づきに頼らない仕組みへ

土地の記憶は、すでに多くの場所に残されている。

発掘調査報告書、古地図、民俗調査報告書、博物館資料、地名、祭り、地域の聞き取り、災害記録、農地や水路の履歴。しかし、それらは地域の未来を決める場に、必ずしも届いていない。

博物館で働いていたとき、資料の豊かさに驚くことが何度もあった。そこには、土地と人の関係を考える手がかりがあった。けれど同時に、博物館に来る人の多くは、すでに関心を持っている人でもあった。

本当に届けるべき人に、資料は届いているのだろうか。
地域の未来を決める場に、博物館の知は届いているのだろうか。
博物館に足を運んだ人が、土地の記憶に気づく。
そうした偶然や、個人の熱意に、頼りすぎていないだろうか。

撤退や集約の判断が進むとき、土地の記憶があとから発見されても、まにあわないことがある。
だから、土地の履歴を、計画の初期段階から参照できるようにしておく必要がある。

人口や財政や施設台帳と同じように、土地の履歴もまた、地域を考えるための前提条件として扱う。
「知っている人だけが知るもの」にせず、「気づいた人だけが拾えるもの」にもしない。
土地の記憶を、土地の履歴評価を、地域の意思決定の場に、最初から載せる。
そのための仕組みが必要だと思う。

空間情報技術で、土地の記憶を未来につなぐ

土地の記憶を、知っている人だけのものにしない。
地域の未来を決める場に、最初から載せる。

そのために、空間情報技術が使える。

GIS、航空測量、リモートセンシング、古地図、発掘調査報告書、民俗資料、地域の聞き取り、災害履歴、土地利用の変遷。それらを地図の上に重ねることで、人口密度だけでは見えない土地の履歴を、共有できる情報にしていく。

空間情報技術は、効率化や管理のためだけの道具ではない。
土地の記憶を、未来の意思決定につなぐための道具にもなりうる。

たとえば、ある地域で居住の集約を考えるとき、人口密度や道路・水道の維持費だけを見るのではなく、過去の集落位置、水系、災害履歴、農地や森林の利用、神社や墓地、地名、古地図、発掘調査の記録、地域の聞き取りを重ねてみる。

すると、その場所を単に「維持困難な地域」として見るだけではなく、別の役割が見えてくるかもしれない。

住み続ける場所。
農地として残す場所。
水源として守る場所。
自然に戻す場所。
記憶として継承する場所。
災害リスクを踏まえて、再居住を避ける場所。

それらを、地図の上で考えることができる。

もちろん、地図だけで地域の未来を決めることはできない。
地図は答えではなく、話しあうための土台である。
けれど、何も重ねられていない地図の上では、人口密度や維持費だけが強く見えてしまう。
だからこそ、人口の地図に、土地の記憶の地図を重ねたい。
空間情報技術は、そのための入口になる。

撤退ではなく、関係の再編へ

人口減少時代、すべてをそのまま残すことはできない。
その現実から目をそらすべきではない。

道路も橋も、水道も公共交通も、維持には費用と人手が必要である。
住み続けることが難しくなる場所もある。
集落のかたちを変えなければならない地域もある。

けれど、土地との関係まで断ち切る必要はない。

住むことだけが、土地との関係ではない。
管理すること。
見守ること。
記録すること。
季節的に通うこと。
自然に返すこと。
別の役割を与えること。
それらもまた、土地との関係の形である。

居住を守る場所がある。
農地として守る場所がある。
水源や森林として手入れする場所がある。
自然に戻す場所がある。
記憶として継承する場所がある。
災害リスクを踏まえて、再居住を避ける場所がある。

条件のあう場所では、地域電源や小規模な太陽光発電として活用することも考えられる。
ただし、それは山を削り、森を壊して進めるものではない。
災害リスク、景観、生態系、地域の合意を踏まえたうえで、すでに改変された土地や、管理可能な場所を慎重に選ぶ必要がある。

また、山奥に常住する人が減ったとしても、管理の関係を完全に断つ必要はないかもしれない。
里の拠点から、ドローン、衛星画像、航空レーザ、センサーなどを使って、山林、水路、農地、斜面、獣害、土砂災害の兆候を見守ることはできる。

それは土地を見捨てることではない。
住む場所と見守る場所を分け、少ない人手で関係を続ける方法である。

撤退とは、終わりである必要はない。
関係を断つことでもない。

何を残すのか。
何を変えるのか。
何を自然に返すのか。
何を記録し、何を次の世代へ渡すのか。

それを考えるために、人口の地図に、土地の記憶の地図を重ねたい。
必要なのは、撤退か維持かという二択ではない。
撤退ではなく、関係の再編である。

かつて、ダム湖に沈んだ暮らしについて書いたとき、
私は最後にこう書いた。

「まだ、まにあうものがあるだろうか」

その問いは、今も自分のなかに残っている。

すべてを残すことはできない。
けれど、まだ、つなぎなおせる関係があるかもしれない。

私はその可能性を、土地の記憶と空間情報技術のあいだに見ている。
そして、その問いをいまも追っている。

参考文献リスト

  1. 国土交通省「国土交通省所管分野における社会資本の将来の維持管理・更新費の推計」
    国交省所管12分野の社会資本について、2018年度から2048年度までの維持管理・更新費を推計した資料。予防保全と事後保全の差を示す基礎資料。
  2. 国土交通省「国土交通省におけるインフラメンテナンスの取組」
    2048年度の維持管理・更新費について、事後保全では2018年度の約2.4倍、予防保全では事後保全に比べ約5割減、30年間累計で約3割減となる見込みを示す資料。
  3. 内閣府『令和3年度 年次経済財政報告』第2章第2節
    国民一人あたりのインフラ維持管理・更新費用について、2018年度4.1万円から2048年度に6.3万円、予防保全が進まない場合は11.9万円へ増える試算を紹介している。
  4. 国土交通省「社会資本の老朽化の現状と将来」
    道路橋、トンネル、河川管理施設、水道管路、下水道管渠、港湾施設について、建設後50年以上経過する施設割合の将来見通しを示す資料。
  5. 農林水産省「農業水利施設の長寿命化のための手引き」
    農業水利施設の老朽化や、標準耐用年数超過に伴う突発事故・機能低下への懸念を示す資料。
  6. 経済産業省 電力・ガス基本政策小委員会等の資料「送配電設備の更新・高経年化に関する資料」
    1970年代に建設された送配電設備が更新時期を迎え、更新工事物量の増加が見込まれること、生産年齢人口の減少見込みなどを示す資料。
  7. 国土交通省「地域インフラ群再生戦略マネジメントについて」
    自治体単位・分野単位ではなく、広域・複数・多分野のインフラを群として捉え、包括的に維持管理していく考え方を示す資料。

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